|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste ・ 九 : [く] 1. (num) nine
中村 純九郎(なかむら じゅんくろう、1853年8月7日(嘉永6年7月3日) - 1947年12月18日)は、日本の官僚・政治家。貴族院議員。 == 経歴 == 佐賀県出身。佐賀藩士・中村喜三太の長男として生まれる。戊辰戦争には鍋島左馬之助配下として従軍。1874年の佐賀の乱では島義勇率いる憂国党の一員として参戦した。なお、円山公園にある札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績を記した『島判官紀功碑』の碑文は中村の手により書かれている。1876年、司法省法学校を修了。 1884年、参事院御用掛となる。以後、海軍省翻訳官、海軍主計学校教授、海軍教授などを歴任。さらに、台湾総督府民政局参事官、拓務省参事官、淡水税関長兼基隆税関長、札幌郵便局長などを務めた。 1907年12月、福井県知事に就任。1912年3月、広島県知事に転じた。1914年4月、北海道庁長官に就任。大凶作の対応に尽力した。 1920年6月、貴族院勅選議員に任じられ、交友倶楽部に属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村純九郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|