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中村習輔 : ミニ英和和英辞書
中村習輔[なかむら しゅうすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

中村習輔 : ウィキペディア日本語版
中村習輔[なかむら しゅうすけ]
中村 習輔(なかむら しゅうすけ、享保17年(1732年) - 文化13年8月20日1816年9月11日))は江戸時代石門心学者庄八。号は恭安
信濃国埴科郡下戸倉村(現長野県千曲市)生まれ。明和8年(1771年)上洛して手島堵庵の明倫舎に入門。全国で28番目の心学講舎「恭安舎」の設立を認められ、安永6年(1777年)頃から信濃を中心に心学の敷衍に務め、信濃で3921人、周辺諸国で242人の社友を獲得し、諸藩や天領代官の保護奨励を受けた。特に須坂藩では藩校「立成館」と並行して、藩立の心学講舎「教倫舎」を設立している。
== 参考文献 ==

*中村常雄「信州心学開祖恭安舎中村習輔翁」
*『長野県史 通史編 第6巻 近世3』



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中村習輔」の詳細全文を読む




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