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中村 能三(なかむら よしみ、1903年9月30日 - 1981年3月5日)は、日本の翻訳家(英米文学)。福岡県生まれ。日本における初期の職業翻訳家の一人。 == 経歴・人物 == 福岡県立中学修猷館卒業後、旧制福岡高等学校に進学したが中退。一時地方紙に小説などを書いていたが、その後日本の職業翻訳家の草分けであった大久保康雄の下訳者(中村は大久保より2歳年上)になり、修業期間を経て職業翻訳家として独立。 クローニンなどの訳やジュニア小説から、アガサ・クリスティなど推理小説を多数翻訳した。戦前から大久保の下訳者をつとめた経験から、大久保の影武者と自他ともに認めていたという(宮田昇『戦後翻訳風雲録』)。 翻訳学校の草分け的な学校・日本翻訳専門学院の校長をつとめ、常盤新平、山下諭一、柳瀬尚紀、高橋泰邦らが講師をつとめた。弟子に吉野美恵子、水野谷とおる、成川裕子、佐々田雅子らがいる〔往事茫々1翻訳者と出会う(執筆者・染田屋茂) 〕。 友人たちの中では名前の音読みである通称「ノーゾウさん」で通っており、兄弟のようにつきあっていた大久保に先立ち、1981年、友人の海渡英祐宅で心筋梗塞により急死した。中村から翻訳を学んだ一人であった田中小実昌によるエッセイ「クマさんと酎ハイ」(『オトコの気持ち』所収)によると、海渡の家で、海渡、後輩の翻訳家、永井淳・柳瀬尚紀の三人と麻雀をしている最中での出来事であり、牌を握りしめたまま息を引き取ったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村能三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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