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中村裕二 : ミニ英和和英辞書
中村裕二[なかむら ゆうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [に]
  1. (num) two 

中村裕二 : ウィキペディア日本語版
中村裕二[なかむら ゆうじ]

中村 裕二(なかむら ゆうじ、1949年 - 1979年10月20日)は、日本社会人野球選手(捕手)。
== 経歴 ==
福岡県飯塚市出身。1967年、柳川商業高等学校(現:柳川高等学校)3年のとき、プロ野球ドラフト会議で東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)から7位指名されたが、入団を拒否して法政大学に進学。
東京六大学リーグでは同期の横山晴久、1年下の池田信夫らとバッテリーを組み、1969年秋季リーグからの4連覇に貢献。1971年全日本大学野球選手権大会では決勝で亜大山本和行投手に抑えられ、準優勝にとどまる。ベストナイン2回選出。横山以外の大学同期に古賀正明藤村正美らがいた。
卒業後は住友金属に入社した。住友金属野球団和歌山市)に所属、捕手としてはインサイドワークを高く評価され、打者としても常に3割台の成績を残した。1972年には法大の先輩エース山中正竹を擁し都市対抗に出場。準決勝に進むが三菱自動車川崎に敗退〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。同年は第20回アマチュア野球世界選手権日本代表となり、社会人ベストナインにも選ばれた。
1973年アジア野球選手権大会に出場。同年秋にはプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから3位指名されたが、この時も入団を拒否した。1977年には森繁和とバッテリーを組み、日本選手権に出場。決勝で電電四国を降し初優勝。同年は2度目の社会人ベストナインに選出された。
住友金属ではコーチも兼任し、将来の監督候補と目されていたが、1979年に入り体に変調を来たす。同年夏の都市対抗松下電器(現:パナソニック)の補強選手として出場〔後、和歌山労災病院に入院して検査を受けた結果、末期の胃癌であることが判明した。妻子とともに自身の郷里・飯塚市に移り、同地で死去した。30歳の若さだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中村裕二」の詳細全文を読む




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