|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 哉 : [や] (n) question mark
中村 雅哉(なかむら まさや、1925年12月24日 - )は、日本の実業家。バンダイナムコエンターテインメント創業者・名誉相談役、バンダイナムコホールディングス最高顧問。東京都出身。 == 来歴 == 1948年、横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科卒業。家業は東京・神田の銃砲店であったが、銃刀法による規制が強いという業界に折り合いを付けられず、1955年に有限会社中村製作所を設立。横浜の松屋デパート(後に横浜松坂屋本店)屋上に事務所を構え、デパートの屋上遊園用遊具製造・管理を手がける。 1971年より中村製作所の英語名(''Nakamura Amusement Machine Manufacturing Company'')の略称である「namco」ブランドの使用を開始、1977年には社名をナムコへ改める。 1974年にアタリジャパン(旧社)を買収しアーケードゲーム事業に進出、1980年にリリースした『パックマン』が世界的大ヒットを記録。日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)会長(後に名誉会長)等を歴任する。 1990年、社長職を専務の真鍋正に譲り会長へ就任するが、1992年に真鍋が健康上の問題から社長を退任。再度、社長職に就き2002年まで務めた。 1999年4月1日、財団法人マルチメディアコンテンツ振興協会 (MMCA) 会長に就任。2001年に新映像産業推進センターと合併しデジタルコンテンツ協会(DCAJ)に改称した際も会長職に留まり、2006年3月まで務めた〔DCAJ news No.124・国内レポート 〕。 映画に対する造詣が深いと自称し、1993年に会社更生法を適用した日活を買収(2005年にインデックス・ホールディングスへ売却)し、1996年には自ら社長に就任している他、2000年には東京芸術大学と慶應義塾大学へ「映画産業を担う人材育成に役立てて欲しい」として私費から総額4億円を寄付している。 2010年、8月8日、「国際ビデオゲームの殿堂」(IVGHOF)に基礎を作った先駆者5名の内の一人として、中村製作所/中村雅哉氏が「パックマン」とともに殿堂入りを果たす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村雅哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|