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中条 三盛(なかじょう みつもり)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。越後国の国人領主中条氏の第22代当主。相模国の名族で鎌倉幕府創立の功臣、平姓三浦氏、和田氏の流れである。沼垂郡奥山庄の鳥坂城主。揚北衆三浦党の一人。主家の会津移封後は出羽国置賜郡鮎貝城主となり、関ヶ原の戦いでは最上氏の支城を攻略した。 == 生涯 == 中条景泰の長男。織田勢による攻撃により魚津城で戦死した父に代わり、上杉景勝に所領を安堵され家督を継ぐ。一黒丸は当時まだ元服前の幼年であったものの、中条家家老の築地資豊を名代後見として特例的に相続が認められたものである。 主家の会津移封に従い、1万石と同心分3300石で鮎貝城主となり、関ヶ原の戦い時の最上攻めに水原親憲らと共に出陣している。 その後、上杉家は米沢転封となるが、三盛は石高は3分の1に減ったものの、引き続き鮎貝城主を務める。後に弟や叔父などの親族に分知し、自身の禄は1800石となった。後年、最上攻めの時に受けた傷が悪化し、鮎貝城にて没した。 嫡子である一黒丸(三盛の幼名と同名、後の盛直)が父同様に若年で家督を相続するが、叔父中条資種と築地資豊の争いが起きたため、一黒丸は米沢城に引き取られることとなる。なお、中条家は幕末まで侍頭や執権、奉行など米沢藩の重職を担っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中条三盛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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