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中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9月17日 - )は、日本版画界を代表する版画家の1人。東京芸術大学名誉教授、紫綬褒章・瑞宝中綬章受章〔 「中林忠良銅版画ーすべて腐らないものはない」(町田市国際版画美術館 / コギト編集 2009年6月27日出版) P6 本江邦夫「存在の奥底からー中林忠良に関する覚え書」〕。日本における銅版画の第一人者〔月刊美術 2011年3月号 実業之日本社刊 雑誌コード 03645-0300-11 ASIN B004YDXVNW〕。 銅版の腐蝕と自分を含めた全てのものの腐蝕を重ね合わせ、「すべて腐ちないものはない」という思想のもとに〔 町田市プレスリリース 2009年6月26日 町田国際版画美術館「中村忠良銅版画展」を開催〕、白と黒を基調とする銅版腐蝕版画(エッチング)による製作を続けている〔。 == 略歴 == 1937年 東京・品川区大井山中町に産まれる。1941年江東区に、1943年品川区に、1944年目黒区に転居。目黒区立中目黒小学校入学直後に、新潟県蒲原郡加茂町(現加茂市に戦時児童疎開。4年間を過ごす。この少年時代の疎開生活は、のちの作品に影響をあたえた。 1959年 東京芸術大学 美術学部絵画科油絵専攻に入学。1961年 3年次の版画集中講義で、駒井哲郎から初めて銅版画を学ぶ〔。1963年 東京芸術大学 卒業〔 NDL検索結果 中林忠良銅版画集 阿部出版刊 (1992/11) ISBN 978-4-87242-025-8〕 (学部同級生 -版画関係- に青出光佑、秋元幸茂、斎藤智、野田哲也、星野美智子、本多栄子、本山敬子、柳澤紀子がいる〔「中林忠良ー腐蝕のまなざしへー」展(2005年1月27日ー2月13日開催・パンフレット(東京芸術大学美術館発行・東京芸術大学版画研究室退任展実行委員会編集)〕)。 東京芸術大学大学院 美術研究科 版画専攻に入学、駒井哲郎に師事する。 1965年 東京芸術大学 大学院を修了し、同大副手に採用される。1966年から非常勤講師。「アトリエC-126」を今井 治男、小作 青史、野田哲也、吉田東、清塚紀子らと結成。のちに田村文雄、原健らが参加した〔。1969年 東京芸術大学助手。1974年講師、1978年に助教授に昇任、1989年に教授になる。この間、1973年 第四回版画グランプリ展でグランプリ受賞〔、ソウル国際版画ビエンナーレ国際大賞など、内外で多数受賞〔。 1975年 には文部省派遣在外研究員としてパリ国立美術学校、ハンブルグ造形芸術大学で研修( - 1976年)〔、1年間をすごす。2003年 紫綬褒章受章〔 日本美術年鑑 美術年史 2003年11月 秋の褒章受章者の項〕。2005年 東京芸術大学教授を退任。武蔵野美術大学客員教授( - 2009)、大阪芸術大学教授に招聘される。 現在 東京芸術大学名誉教授〔、大阪芸術大学客員教授〔大阪芸術大学 教員紹介ページ〕、京都造形芸術大学客員教授〔京都造形芸術大学 芸術学部 美術工芸学科 展覧会情報ページ〕、2003年 紫綬褒章〔、2014年 瑞宝中綬章受章。日本版画協会理事、日本美術家連盟常任理事。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中林忠良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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