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中林忠良 : ミニ英和和英辞書
中林忠良[なかばやし ただよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
忠良 : [ちゅうりょう]
 (adj-na,n) loyalty
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

中林忠良 : ウィキペディア日本語版
中林忠良[なかばやし ただよし]

中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9月17日 - )は、日本版画界を代表する版画家の1人。東京芸術大学名誉教授、紫綬褒章瑞宝中綬章受章〔 「中林忠良銅版画ーすべて腐らないものはない」(町田市国際版画美術館 / コギト編集 2009年6月27日出版) P6 本江邦夫「存在の奥底からー中林忠良に関する覚え書」〕。日本における銅版画の第一人者〔月刊美術 2011年3月号 実業之日本社刊 雑誌コード 03645-0300-11 ASIN B004YDXVNW〕。
銅版の腐蝕と自分を含めた全てのものの腐蝕を重ね合わせ、「すべて腐ちないものはない」という思想のもとに〔 町田市プレスリリース 2009年6月26日 町田国際版画美術館「中村忠良銅版画展」を開催〕、白と黒を基調とする銅版腐蝕版画(エッチング)による製作を続けている〔。
== 略歴 ==
1937年 東京品川区大井山中町に産まれる。1941年江東区に、1943年品川区に、1944年目黒区に転居。目黒区立中目黒小学校入学直後に、新潟県蒲原郡加茂町(現加茂市に戦時児童疎開。4年間を過ごす。この少年時代の疎開生活は、のちの作品に影響をあたえた。
1959年 東京芸術大学 美術学部絵画科油絵専攻に入学。1961年 3年次の版画集中講義で、駒井哲郎から初めて銅版画を学ぶ〔。1963年 東京芸術大学 卒業〔 NDL検索結果 中林忠良銅版画集 阿部出版刊 (1992/11) ISBN 978-4-87242-025-8〕 (学部同級生 -版画関係- に青出光佑秋元幸茂斎藤智野田哲也星野美智子本多栄子本山敬子柳澤紀子がいる〔「中林忠良ー腐蝕のまなざしへー」展(2005年1月27日ー2月13日開催・パンフレット(東京芸術大学美術館発行・東京芸術大学版画研究室退任展実行委員会編集)〕)。 東京芸術大学大学院 美術研究科 版画専攻に入学、駒井哲郎に師事する。
1965年 東京芸術大学 大学院を修了し、同大副手に採用される。1966年から非常勤講師。「アトリエC-126」を今井 治男小作 青史野田哲也吉田東清塚紀子らと結成。のちに田村文雄原健らが参加した〔。1969年 東京芸術大学助手。1974年講師、1978年に助教授に昇任、1989年に教授になる。この間、1973年 第四回版画グランプリ展でグランプリ受賞〔、ソウル国際版画ビエンナーレ国際大賞など、内外で多数受賞〔。
1975年 には文部省派遣在外研究員としてパリ国立美術学校、ハンブルグ造形芸術大学で研修( - 1976年)〔、1年間をすごす。2003年 紫綬褒章受章〔 日本美術年鑑 美術年史 2003年11月 秋の褒章受章者の項〕。2005年 東京芸術大学教授を退任。武蔵野美術大学客員教授( - 2009)、大阪芸術大学教授に招聘される。
現在 東京芸術大学名誉教授〔、大阪芸術大学客員教授〔大阪芸術大学 教員紹介ページ〕、京都造形芸術大学客員教授〔京都造形芸術大学 芸術学部 美術工芸学科 展覧会情報ページ〕、2003年 紫綬褒章〔、2014年 瑞宝中綬章受章。日本版画協会理事、日本美術家連盟常任理事。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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