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中條 政恒(なかじょう まさつね、天保12年3月8日(1841年4月28日) - 明治33年(1900年)4月14日)は幕末の武士(米沢藩士)、開拓事業者。中條政済の長男。建築家・工学士の中條(ちゅうじょう)精一郎の父。作家・宮本百合子の祖父。 == 人物 == 青雲の志で東北地方に関し研究し、一時期は蝦夷地(北海道)にも足を運び、開拓の可能性を検討した。その後、縁あって福島県安積開拓に従事、現地総責任者として働く。1872年、福島県典事となる。安積開拓は疏水の完成で終了するが、それを見ずに島根県に転じ、1881年に太政官小書記官となる。 1890年、脳梗塞を発病し官を辞し、東京九段下に居を構えた。1897年、一家をあげ郡山市南町(現、開成)に移住、1900年没する。 墓所は、郡山市開成。道因寺、開拓者墓地内。 1884年、『開成録』および『巡視余禄』を著わす。1892年、『杞憂草』を著わす。1896年、『追遠考』および『重修 中條系譜』成る。 注)中條の読みは精一郎の代に、本源の読み(ちゅうじょう)に戻した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中條政恒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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