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中欧帝国構想(ちゅうおうていこくこうそう、)とは、19世紀に高まったドイツ統一運動の中で、大ドイツ主義や小ドイツ主義とともに提案された構想。前者二つが、ドイツ語話す人々をドイツ人と規定して、彼らの居住地域のみを統一ドイツの領土にするという共通点があるが、中欧帝国構想はオーストリア帝国支配下の非ドイツ人地域も統一ドイツに編入するというものであった。 ==内容== 所謂ドイツ連邦を全てドイツ人の統一国家としようとする「大ドイツ主義」ではオーストリア帝国(ハプスブルク君主国)のうち、マジャル人が住むハンガリー王国やポーランド人やウクライナ人などが住むガリツィア地方など非ドイツ人の居住する領域を排除する必要があった。(尚、チェック人が居住するボヘミアやモラビア、スロヴェニア人居住区域などはドイツ連邦の領域であったためこれらは大ドイツに含まれる。)オーストリア帝国はその憲法においてハンガリーなどのハプスブルク帝国内の領邦の不可分を宣言していた為、大ドイツ主義を採用することは困難であった。そのためオーストリア帝国の支配地域を維持しつつオーストリア帝国が統一ドイツに参加できる考え方がオーストリア帝国内で模索された結果、案出されたのが「大ドイツ主義」のさらに大規模な「中欧帝国」構想であった。 しかし、ドイツ連邦とオーストリア帝国を合邦すると、国民に占めるドイツ人の比率が下がり、新たな「超民族主義多民族国家」が誕生するだけで「一民族一国家」を基調とする「国民国家」の建設という「ドイツ統一運動」の当初の目的が果たせなくなってしまう。そのため、オーストリア帝国以外では支持を得ることなく立ち消えとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中欧帝国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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