翻訳と辞書
Words near each other
・ 中江松窠
・ 中江滋樹
・ 中江玉桂
・ 中江用水
・ 中江百合
・ 中江直澄
・ 中江県
・ 中江真司
・ 中江種造
・ 中江篤介
中江篤助
・ 中江美裕
・ 中江翼
・ 中江良夫
・ 中江藤樹
・ 中江裕司
・ 中江要介
・ 中江郡
・ 中江里香
・ 中江陽三


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中江篤助 : ミニ英和和英辞書
中江篤助[なか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [すけ]
 (n) assistance

中江篤助 ( リダイレクト:中江兆民 ) : ウィキペディア日本語版
中江兆民[なかえ ちょうみん]

中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日1847年12月8日) - 明治34年(1901年12月13日)は、日本思想家ジャーナリスト政治家衆議院議員)。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。兆民はで、「億兆の民」の意味。「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。また、他の号に青陵、木強生がある。名は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。
== 生涯 ==

=== 誕生と修学 ===
高知城下の土佐郡北街山田町に生まれる。文久元年(1861年)2月に父が死去し、5月には家督を相続して足軽身分となる。文久2年(1862年)には藩校文武館開校と同時に入門し、細川潤次郎萩原三圭らの門下で学ぶ。外国語なども学び、慶応元年(1865年)9月には、藩が派遣する留学生として長崎へ赴く。このころ郷土の先輩である坂本龍馬と出会っている。龍馬に頼まれてたばこを買いに走った、などの逸話を残している。その後、幕府の語学所学頭平井義十郎からフランス語を学ぶなど外国語習得に努める。慶応3年(1867年)5 - 6月に江戸に移り、村上英俊の達理堂で学ぶが破門され、横浜天主堂の僧にも学んだという。同年末に兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中江兆民」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.