|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 沢 : [さわ] 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor ・ 直 : [ひた, ちょく] 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly
中沢 義直(なかざわ よしなお、1922年10月1日 -2015年10月4日は、日本の写真家・映像作家である。 長野県南安曇郡倭村(現松本市)出身。現在は安曇野市堀金(旧・南安曇郡堀金村)で写真と映像制作の傍ら、後進の指導・育成にも当たっていた。写真に対して最後の最後まで執念を燃やし続けた、享年93歳。 == 経歴 == *1950年頃より山岳・スキー・風景などを撮影するプロカメラマンとして活躍し、1962年のシャモニスキー世界選手権、1968年、1972年のインスブルックオリンピック、及び札幌オリンピックの取材特派員のほか、ヨーロッパの各地・カナダ・アメリカ・アジア・ネパール・南太平洋などで写真や映像の取材を多く重ねている。 *在京40年の写真生活の後、自身が好きな常念山脈の麓、堀金村(現安曇野市堀金)に移り住み、写真や映像制作の工房を作り、上高地・安曇野をホームグラウンドにして活躍し、多数の作品・写真文集などを作っている。 *その傍ら、後進の指導・育成のための中沢写真学校も開設した。 *逸話としては、記録映画の代表作「わが山常念山脈」の題名で、「そのような山脈は地図上には無い…」と当時の文部省に訂正を求められたが、登山案内図にも古くから掲載されている事もあり又地元でも通用しているので訂正を拒み賞を逸した。 *また、故郷の梓川村が美術館(梓川アカデミア館)を作り「中沢義直ルーム」が設けられた時、写真作品・カメラコレクション・資料全てを寄贈した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中沢義直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|