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中津山藩 : ミニ英和和英辞書
中津山藩[なかつやまはん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

中津山藩 : ウィキペディア日本語版
中津山藩[なかつやまはん]
中津山藩(なかつやまはん)は、江戸時代陸奥国に存在した仙台藩内分支藩。藩主は伊達村和1代のみであった。藩庁は桃生郡中津山所(現・宮城県石巻市)に置かれた。
本項においては、村和の直系子孫である仙台藩一門第九席・川崎伊達氏についても併せて記述する。
『桃生町史』では寺崎藩(てらさきはん)の名を採っている。これは藩庁・中津山所の縄張が中津山・寺崎の両村域に跨っており、その町場は気仙道の寺崎宿にあたることから、町場の名称を優先したものである。
なお、一部にこの藩の名称を水沢藩とするものがあるが、これは藩主・村和が立藩直前まで水沢伊達氏当主(当時の諱は顕孝→村任)であったために、水沢伊達氏領の俗称である「水沢藩」の名と、新規に立藩された正式な藩である「中津山(寺崎)藩」とを混同したものである。
== 概要 ==
元禄8年(1695年)6月19日、仙台藩第4代藩主伊達綱村は、水沢伊達家第5代当主であった同母弟の伊達村任に桃生郡中津山ほか3万石を分知して、新たに内分分家を立てることを幕府に申請する。7月6日に中津山藩の発足が決定すると、この時点では男子が居なかった村任は、甥の吉之助を養子に迎えて水沢伊達家の家督を譲り、自身は名を村和に改め、水沢を離れて江戸に出府した。
;中津山藩3万石の内訳
*知行地 1万5千石
 *桃生郡 7か村(中津山・寺崎・牛田・倉埣・脇谷・永井・太田)
 *栗原郡 4か村(猿飛来・平形・岩崎・大原木)
*仙台本藩蔵米 1万5千石
12月18日に従五位下・美作守に叙任され、翌元禄9年(1696年)1月11日に六本木に藩邸が落成し(立藩当初は仙台藩の麻布下屋敷を仮藩邸としていた)、10月28日に中津山所を藩庁とすることが公的に確認されるなど、次第に中津山藩は藩としての体裁を整えていった。ところが元禄12年(1699年)9月9日、江戸城に登城する途上で、供回りの者が行列を横切った旗本岡孝常と刃傷沙汰に及び手傷を負わせたため(土器町事件)、9月26日に謹慎を命じられた後、改易に追い込まれる。村和の身柄は兄の綱村預かりとなり、中津山藩への分知は仙台藩領に戻され、六本木の藩邸も仙台藩の所有地となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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