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中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。 == 生涯 == 1894年(明治27年)6月28日、長野県諏訪郡豊田村(現諏訪市)で農業・染色を営む父・忠助のもとに生まれる。中澤宗家は代々諏訪藩右筆だったが、明治維新により帰農した。父・忠助は豊田村村長も務めた。旧制長野県諏訪中学校を経て1912年(大正元年)9月9日、海軍兵学校第43期に100名中71番の席次で入校。1915年(大正4年)12月16日、96名中19番の席次で卒業、海軍少尉候補生。装甲巡洋艦「吾妻」乗組。練習艦隊近海航海出発〔佐世保~仁川~旅順~大連~鎮海~舞鶴~鳥羽方面巡航〕し、1916年(大正5年)4月3日に帰着。4月20日、練習艦隊遠洋航海出発〔香港~シンガポール~フリーマントル~メルボルン~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヤルート~ポナペ~トラック~父島方面巡航〕し、8月22日に帰着。8月25日、2等巡洋艦「筑摩(初代)」乗組。 同年12月1日、海軍少尉任官。1918年(大正7年)4月6日、戦艦「伊勢」乗組。12月1日、中尉に進級し、海軍水雷学校普通科学生。1919年(大正8年)5月23日より海軍砲術学校普通科学生。12月1日、海軍砲術学校普通科を卒業し、装甲巡洋艦「常磐」乗組(少尉候補生指導官附)。12月3日、練習艦隊遠洋航海〔基隆~馬公~香港~シンガポール~コロンボ~アデン~ポートサイド~ナポリ~マルセイユ~ツーロン~ヴィゼルダ~マルタ~ポートサイド~コロンボ~バタヴィア~マニラ~志布志方面巡航〕に参加し、1920年(大正9年)5月20日に帰着。6月2日、2等駆逐艦「樫」乗組。12月9日、2等駆逐艦「杉」乗組。 1921年(大正10年)12月1日、大尉に進級し、海軍水雷学校高等科第21期学生。土方久路陸軍大佐の長女・英子と結婚。1922年(大正11年)11月30日、海軍水雷学校高等科優等修了、恩賜品拝受。12月1日、2等駆逐艦「菱」乗組。1923年(大正12年)5月1日、1等海防艦「浅間」分隊長(少尉候補生指導官)。11月7日練習艦隊遠洋航海〔上海~マニラ~シンガポール~バタヴィア~フリーマントル~メルボルン~ホバート~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヌーメリア~ラバウル~トラック~パラオ~サイパン方面巡航〕に参加し、1924年(大正13年)4月5日帰着。4月10日、「第十五号駆逐艦」艤装員。12月1日、第1潜水戦隊参謀。 1926年(大正15年)12月1日、海軍大学校甲種第26期学生。1927年(昭和2年)12月1日、少佐進級。1928年(昭和3年)11月26日、海軍大学校甲種を成績順位22名中第8位で卒業。12月10日、2等駆逐艦「朝顔」艦長。1929年(昭和4年)11月30日、第二艦隊司令部参謀。1930年(昭和5年)11月15日、連合艦隊兼第1艦隊参謀。1931年(昭和6年)12月1日、海軍省・軍令部出仕。1932年(昭和7年)1月11日、在アメリカ日本大使館附海軍駐在武官府補佐官附。10月17日、スタンフォード大学入学。12月1日、中佐進級。1934年(昭和9年)1月20日、帰朝。3月10日、軍令部第一部第一課首席課員(対米戦作戦班長)。大和型戦艦の速力につき35ノットを主張したが、27ノットに決定した際に職を辞そうとした。 1936年(昭和11年)11月2日、連合艦隊司令部附。12月1日、大佐に進級し、連合艦隊兼第一艦隊先任参謀。 1937年(昭和12年)12月1日、軍令部第一部第一課長。人員不足を訴え、士官の増員を兵学校採用数の増加で果たしたが、中澤の唱える必要数からは不足していた。また石油備蓄の増加が必要であるとして、従来の300万トンから倍増させた。日独伊三国軍事同盟に反対したが同盟が成立して職を辞そうとした。1939年(昭和14年)11月15日、陸軍参謀本部員を兼任。1940年(昭和15年)7月の「世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱」を作成した1人であったが、これが南部仏印進駐を許したとして、責任を痛感したという。10月15日、重巡洋艦「足柄」艦長。 1941年(昭和16年)7月5日、軍令部出仕。7月25日、第五艦隊参謀長。12月8日、太平洋戦争勃発。1942年(昭和17年)11月1日、少将進級。11月6日、軍令部出仕。11月10日、海軍省出仕を兼ねる。12月10日、海軍省人事局長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中澤佑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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