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中臣寿詞(なかとみのよごと、中臣の寿詞)は、古代日本での天皇の即位式および大嘗祭において、中臣氏によって奏上された寿ぎ詞(ほぎごと)。「天神寿詞(あまつかみのよごと/あまのかみのよごと)」とも。 == 概要 == 寿詞(よごと、賀詞)とは「天皇を寿ぐ言葉」を指す〔「賀詞/寿詞」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。〕。中臣寿詞の場合、元々は「天神寿詞」と称される詞であったが、神事・祭祀を掌る中臣氏(のち大中臣氏)が奏上することから「中臣寿詞」と称されるようになった。文体は祝詞と同様に宣命体〔。類例に出雲国造が奏上した寿詞である出雲国造神賀詞が知られる〔。 中臣寿詞の奏上制度の成立は詳らかでない。古くは『日本書紀』において、持統天皇4年(690年)〔『日本書紀』持統天皇4年(690年)正月戊寅朔(1日)条。〕の天皇即位に際して物部麻呂(石上麻呂)は大盾を立て、中臣大嶋は「天神寿詞」を読み、忌部色夫知は神璽の剣鏡を奉ったことが記されている。翌年の持統天皇5年(691年)〔『日本書紀』持統天皇5年(691年)11月戊辰(1日)条(参照)。〕にも、大嘗祭において中臣大嶋が「天神寿詞」を読んでいる。 飛鳥時代・奈良時代に定められた「大宝令」や「養老令」の神祇令〔『令集解』巻7(神祇令)践祚条(参照)。〕では、践祚の際に中臣氏が「天神之寿詞」を奏上する旨と、忌部氏が「神璽之鏡剣」を奉る旨とが定められている。平安時代に入っても、『貞観儀式』〔『貞観儀式』巻4(践祚大嘗祭儀下)。〕や『延喜式』〔『延喜式』巻7(践祚大嘗祭)。 - 『延喜式 校訂 上巻』 (国立国会図書館デジタルコレクション)141コマ参照。〕において同様の旨が定められていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中臣寿詞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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