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中西 寅雄(なかにし とらお、1896年3月11日‐1975年4月25日)は、経済学博士。東京帝国大学教授であり、日本の経営学の創始者であった。大阪大学経済学部教授(学部長)、慶應義塾大学商学部教授、拓殖大学教授を歴任した。昭和37年11月、大蔵省企業会計審議会、原価計算基準」を第4部会長として公表した。勲二等瑞宝章。和歌山県那賀郡東貴志村(現・紀の川市)出身。 ==略歴== 東京帝国大学教授として同大学に「経営経済学」の講座を初めて開いた。1938年に起きた河合・土方事件のいわゆる平賀粛学の際に,1939年に辞表を提出して辞職。しかし、これを機としてその豊富な学識をもって活躍。1939年10月に陸軍省経理局の嘱託として「陸軍軍需品工場事業場原価計算要綱」(「陸軍要綱」と略称される)を立案した。このとき、当時立教大学の教授であった鍋島達に「貴様の命を呉れい」と言われて「陸軍要綱」の作成に協力するように求められたという逸話がある。中西寅雄と鍋嶋達の師弟協力の間柄は親密であった。東大時代の愛弟子として他に弘前大学の学長になった柳川昇がいた。 戦後は、大阪大学経済学部教授として活躍、在任中は経済学部長に就任、退職後は、大阪大学名誉教授となり、慶應義塾大学商学部教授、拓殖大学教授を歴任し、教育者として多くの青年に深い影響を与えた。また、戦後の荒廃した日本の経済再建のために、経営教育、中小企業指導、企業会計、税制、公認会計士制度、生産性運動等の各般に亘って、理論的・指導者として偉大な貢献をした。 1959年、日本生産性本部中小企業原価計算委員会名で出版された『中小企業のための原価計算』は、実質上中西寅雄の著作といわれている。 「原価計算基準」は、1962年11月に大蔵省企業会計審議会から公表された。そのとき第4部会長を務めていた。その後の高度経済成長は「原価計算基準」があったからこそ達成されたと考えられている。 1965年に発行された鍋島達教授との編著『現代における経営の理念と特質』(日本生産性本部)は、学界、産業界、官庁等の各方面に偉大な貢献となった。 慶應義塾大学時代の門下生として山口操、植竹晃久、貫隆夫、十川広国、岩邊晃三などの諸教授がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西寅雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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