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中西 義雄(なかにし よしお、1922年12月14日 - 1984年5月4日)は日本の社会運動家、部落問題研究家。部落解放同盟中央本部事務局長を経て、全国部落解放運動連合会(全解連、現・全国地域人権運動総連合)書記長を務めた。山村 槙之助のペンネームで著述活動も行った。 == 来歴 == 奈良県添上郡東市村字古市北方(現・奈良市)出身〔石田真一『中西義雄氏を悼む』(『部落』1984年6月号)〕。東京物理学校(現・東京理科大学)中退後の1946年、部落解放奈良地方委員会に参加。1949年には日本共産党へ入党。1961年部落解放同盟中央本部事務局長に就任するも、同和対策事業特別措置法の評価などを巡り解放同盟と齟齬を来たすようになる。部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)から、1976年には解放同盟と完全に袂を分かつ形で全解連を結成、書記長に就く。 国民的融合論のイデオローグとして、「部落差別を二十一世紀にもちこさない」「部落問題解決の最終責任は地区住民と運動体の側にある」などを合言葉に、部落解放運動を主導した〔丹波正史『人間と部落-ある部落解放運動家の思い-』地域人権ネット、2008年11月、p.93〕。 1984年5月4日、肺がんのため大阪府堺市の近畿中央病院で死去〔1984年5月6日付『朝日新聞』〕。61歳。死後、部落問題著作集(全3巻)が刊行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中西義雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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