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中越国境紛争(ちゅうえつこっきょうふんそう)は、中越戦争以降に両国国境の高地(中国名:老山・者陰山)に構築されていたベトナム人民軍の陣地と、これを占拠しようとした中国人民解放軍との間で発生した大規模な軍事衝突である。二つの高地群を中心に戦われたため中国ではと呼ばれている。 戦闘は1984年4月2日の老山陣地に対する中国軍による砲撃に始まり、 * 第一次 4月2日~5月15日 * 第二次 6月12日~7月10日 * 第三次 7月12日~7月14日 の三次に渡って中越両軍の衝突が発生した。 7月14日のベトナム軍の白兵攻撃で最大規模の交戦が発生したが、砲・ロケット弾の大火力でこれに抗した中国軍が老山陣地を死守して終結した。 == 衝突までの経緯 == 中越国境が確定していなかった時代には、老山・者陰山の一帯は。 老山(海抜1422.2m)からはベトナム側のハザン市に伸びる道路が見渡せるため、中国・ベトナム双方はこの地域での優位を確立できる老山・者陰山高地群の重要性を認識しており、中越戦争の緒戦で楊得志司令(当時)指揮下の部隊〔昆明軍区は1985年に成都軍区へ合併された。〕が占領したが、中国軍が撤退するとこれを追撃したベトナム軍が奪回し、老山の主峰4箇所と者陰山の1250高地と1052.4高地に恒久的な陣地の構築を進めていた。 中越戦争での苦戦の教訓から、軍制改革と装備の現代化を進めていた鄧小平と、中越戦争での善戦で鄧小平から軍総参謀長職を引き継ぎ、中国共産党中央軍事委員会委員という政・軍の要職に就いていた楊得志は、軍制改革の効果を実戦で確認する場として、また中越戦争での撤退で低下していた中国軍の威信回復のため、そしてなにより国民の前で5年前の雪辱を果たして見せるため、両山の高地群占領を計画した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中越国境紛争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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