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旧中込学校(きゅうなかごみがっこう)は、長野県佐久市中込(旧下中込村)に残る明治時代初期の洋風校舎である。 == 沿革 == 1872年の学制発布を受け、1873年に佐久郡下中込村・今井村・三河田村の三村組合立の成知学校が開校。当初は下中込村の小林寺を仮校舎とした。1874年には新校舎建設に動きだし、1875年12月に完成した校舎へ移転。1876年5月に「第6大学区第17中学区第7番中込学校」と名称を改める。 明治期の長野県は初等教育に力を注ぎ「教育県」とまで言われていたが、その中でも最初に建てられた本格的な校舎が中込学校である。下中込村の村民が校舎新築を決意したのは、村出身の大工・市川代治郎が自分なら安くて良い校舎を実現できると請け負ったからだと言われている。建設費は請負契約では380円となっていたが、大幅に費用がかさみ村民の負担と村内篤志家の寄付で総工費のほとんどをまかなって建設された。最終的な建設費は6000円超となったことから、後々まで村の財政を圧迫した。 1919年に新校舎が完成すると、旧校舎は中込町役場、中込町公民館、中込支館、佐久市役所分室、佐久市開発公社に再利用された。 1966年1月27日に長野県宝に指定〔国の重要文化財指定に伴い長野県宝の指定は解除(長野県文化財保護条例第5条3項)。〕。1969年3月12日に「旧中込学校校舎(附 学校新築請負書・新築入費勘定帳・学校新築諸入費調帳)」として国の重要文化財に指定され、同年4月12日に「旧中込学校」として敷地を含めて国の史跡に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧中込学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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