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中道 善博(なかみち よしひろ、1949年3月20日〔蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P158。〕〔 - )は、徳島県三好市西祖谷山村(旧三好郡西祖谷山村)出身〔の元競艇選手。現在は競艇評論家。 == 来歴 == 1949年3月20日、徳島県三好郡西祖谷山村(現在の三好市西祖谷山村)に生まれる〔木村1992、52頁。〕。中学校3年生の3学期に徳島県鳴門市に移り住み、鳴門市立鳴門工業高等学校に進学〔木村1992、53-54頁。〕。高校2年生の時に家出をして辿り着いた大阪で、高卒初任給が1万7500円だった時代に平均月収が10万円にのぼると知り、競艇選手を志すようになる〔木村1992、55頁。〕。選手養成所の1次試験に合格した中道は再び大阪へ家出して2次試験を受け合格〔、校長の説得を振り切り、鳴門工業高等学校を中退して養成所に入所した〔木村1992、55-56頁。〕〕。 養成所卒業後、1966年10月に選手登録され、丸亀競艇場でデビュー〔木村1992、56頁。〕。デビュー1節目で初勝利を挙げた〔木村1992、57頁。〕。1年間C級に在籍した後、A級に特進した〔木村1992、57頁。〕。若手時代は麻雀に熱中したが、1975年に「1年だけがんばってみたろうかなあ」と一念発起し、徹底的にインに拘ることで成績を向上を図った〔木村1992、48-51頁。〕。中道によると、当時はインコースよりも3コースや4コースに進入しようとする選手が多かったという〔木村1992、51頁。〕。インに拘り続けた中道は、やがて「インの中道」〔木村1992、49頁。〕、「インから出た時の旋回は天下一品」〔木村1992、62頁。〕と評されるようになる。1976年に一般戦への出走が多かったものの8点台を記録して勝率1位となり〔木村1992、52頁。〕、1978年には記念レースで実力上位の選手と争いながら勝率8点台を記録するようになった〔。さらに1979年には第6回笹川賞競走優勝戦で1着となり、SG競走初優勝を遂げた〔木村1992、59-61頁。〕。 1996年平和島競艇場で行われた総理大臣杯競走で優勝後のインタビューで「ワシはあと4年で数えで51歳やから、4年で辞める」と突如引退発表した。2000年12月をもって公言通り引退。現在はレジャーチャンネルやスポーツニッポンの解説者・評論家として活動している。 2007年(平成19年)、ボートレースの殿堂入りを果たした。〔ボートレース大村 六十周年記念 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中道善博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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