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中部電力株式会社(ちゅうぶでんりょく、)は、中部地方を主な営業地域とする電力会社である。 略称は中電(ちゅうでん)であり、一般に「中電」と言えば当社を指す(現在のドメインは chuden.co.jp)。ただ、日本の中国地方を事業地域とする中国電力(ドメインは energia.co.jp)との混同を防止するため、株式市場では中部電力は「中部電」、中国電力は「中国電」と呼ばれている。 2011年現在のコーポレートスローガンは、「時代の先へ。ひとりのそばへ。」である。 名古屋の有力企業四摂家〔以前は、旧東海銀行(後のUFJ銀行)も含めた五摂家と呼ばれていたが、東京三菱銀行と統合し三菱東京UFJ銀行となった事で消滅した。また松坂屋も、大丸との経営統合(J.フロント リテイリング・大丸松坂屋百貨店の発足)により、本社機能は東京へ移転した。〕の1社だったが、福島原発事故以後は企業のアピール活動は自粛している。(他の3社は東邦瓦斯・名古屋鉄道・松坂屋) == 沿革 == * 大正末期から昭和初期にかけて、多治見市および岡崎市に「''中部電力''」が存在したが、後に東邦電力(中部配電などの前身)に合併されたため、本項目の「中部電力」と直接的な関係はない。 * 1951年(昭和26年)5月1日 松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)のGHQへの説得による、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令を元に、戦時統合によって発足した中部配電(株)の配電部門と日本発送電(株)の発電・送電部門を再編成、発電から配電までの電力一貫管理会社として創立。 * 1955年(昭和30年) - 中部電力初の新設石炭火力発電所、三重火力発電所1号機が運転開始。 * 1956年(昭和31年) - 社歌制定。 * 1959年(昭和34年) - 伊勢湾台風により電力設備に多大な被害、復旧に約20日間、長い所では約80日間を要した。 * 1959年(昭和34年) - 石炭火力発電所、新名古屋火力発電所1号機が運転開始(1972年に石油に転換)。 * 1961年(昭和36年) - 日本初の重油専焼火力発電所、三重火力発電所4号機が運転開始(既存設備についても1966年に重油専焼へ転換)。 * 1962年(昭和37年) - 飛騨川流域一貫開発計画着手、木曽川水系飛騨川流域の大規模水力発電開発に着手。 * 1963年(昭和38年) - 石油火力発電所、四日市火力発電所1号機が運転開始(重油専焼だったが、ナフサ、原油を経てLNGに転換)。本店ビル完成。 * 1964年(昭和39年) - 石油火力発電所、尾鷲三田火力発電所1号機が運転開始。電気料金の銀行口座振替制度導入、深夜温水器用電力料金を導入。 * 1966年(昭和41年) - 石油火力発電所、知多火力発電所1号機(1985年にLNGに転換)、武豊火力発電所1号機が運転開始。 * 1970年(昭和45年) - 石油火力発電所、西名古屋火力発電所1号機が運転開始。 * 1971年(昭和46年) - 石油火力発電所、渥美火力発電所1号機が運転開始。 * 1973年(昭和48年) - 石油火力発電所、新清水火力発電所1号機が運転開始。 * 1976年(昭和51年) - 中部電力初の原子力発電所、浜岡原子力発電所1号機が運転開始。 * 1978年(昭和53年) - 中部電力初のLNG火力発電所、知多火力発電所5号機が運転開始。 * 1983年(昭和58年) - LNG火力発電所、知多第二火力発電所1号機が運転開始。 * 1986年(昭和61年) - 電気文化会館・でんきの科学館開館。 * 1987年(昭和62年) - 飛騨川流域一貫開発計画完了。 * 1988年(昭和63年) - CIを導入。花弁になぞらえた「CHUBU」の「C」を5つ並べて、同社営業エリア5県の繁栄をイメージした、 シンボルマーク・ロゴが制定された。ちなみに、それ以前のものは、名古屋市出身の画家・杉本健吉による「電」の文字を図案化したものであった。 * 1988年(昭和63年) - 中部電力初のコンバインドサイクル発電方式を採用した四日市火力発電所4号機が運転開始。 * 1989年(平成元年) - LNG火力発電所、川越火力発電所1号機が運転開始。三重火力発電所廃止。 * 1990年(平成2年) - 時間帯別電灯料金制度導入。 * 1991年(平成3年) - 石炭火力発電所、碧南火力発電所1号機が運転開始。 * 1992年(平成4年) - 知多火力発電所および知多第二火力発電所において、ガスタービン発電設備を追加、排気再燃型コンバインドサイクル化工事施工開始。 * 1994年(平成6年) - 中部電力所有の水力発電所では最大の発電量(150万kW)である奥美濃発電所が運転開始。 * 1996年(平成8年) - 中部電力初の1,300℃級ACCを採用した川越火力発電所3号系列が運転開始。 * 2002年(平成14年) - 碧南火力発電所5号機が運転開始。総出力410万kWとなり、石炭火力としては国内最大の発電量となる。 * 2004年(平成16年) - 新清水火力発電所廃止。 * 2007年(平成19年) - 1988年に採用されたシンボルマーク・社名ロゴをマイナーチェンジ(カラーリングと角度を変更)。株式公開買付け(TOB)によりトーエネックを連結子会社にする。 * 2008年(平成20年) - 中部電力初の1,500℃級MACCを採用した新名古屋火力発電所8号系列が運転開始。 * 2009年(平成21年) - 子会社の東邦石油株式会社を吸収合併。 * 2009年(平成21年) - 一般顧客向けの営業受付電話番号がフリーコールとなる(番号は各営業所で異なる)。 * 2010年(平成22年) - 御前崎風力発電所が営業運転開始。 * 2011年(平成23年) - メガソーラーいいだが営業運転開始。 * 2011年(平成23年)5月6日 - 同年3月11日に発生した東日本大震災による、東京電力・福島第一原子力発電所事故の発生を受けて、菅直人内閣総理大臣(当時)が、浜岡原子力発電所の全原子炉の運転停止を海江田万里経済産業大臣(当時)を通じて要請。これに対し同社は5月9日、「現在運転中の4号機、5号機の停止、ならびに定期点検中の3号機の再稼動を延期する決定をした」旨を発表した。その後、同年5月13日の13時56分には4号機、翌5月14日の13時には5号機の原子炉が、それぞれ運転を停止した。 * 2012年(平成24年)4月1日 - 子会社のシーエナジーが同じく子会社のエル・エヌ・ジー中部を吸収合併。 * 2012年(平成24年)7月1日 - 中部電力初の多軸型1,300℃級ACCを採用した上越火力発電所1-1号系列が運転開始。 * 2013年(平成25年)8月 - グループ会社であるシーエナジーを完全子会社化。 * 2013年(平成25年)9月 - 東邦ガスと共同で建設を進めていた「伊勢湾横断ガスパイプライン」の工事が完了〔「伊勢湾横断ガスパイプライン」共同敷設工事の完了について 〕 * 2013年(平成25年)10月1日 - 三菱商事からダイヤモンドパワーの株式80%を取得し子会社化。 * 2014年(平成26年)1月30日 - 大阪ガスと共同で建設を進めていた天然ガスパイプライン「三重・滋賀ライン」が開通。 * 2014年(平成26年)4月1日 - 三重県より蓮水力発電所、宮川第一水力発電所、宮川第二水力発電所を譲り受け。 * 2014年7月 - 中部電力で政界工作を長年担当した元役員が、裏金2億5千万円から1999年と再選した2003年の知事選告示前、神田真秋前知事宅を訪問し現金300万円と500万円を本人に直接手渡したと証言したが、神田真秋がこれを一部認めた。〔http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140721-00000021-asahi-soci〕 * 2015年(平成27年)1月15日 - 太陽光発電所メガソーラーしみず営業運転開始。 * 2015年(平成27年)4月1日 - 三重県より長水力発電所、宮川第三水力発電所(不動谷ダム)、三瀬谷水力発電所(三瀬谷ダム)、大和谷水力発電所、青田水力発電所を譲り受け。 * 2015年(平成27年)4月30日 - 東京電力と共同で火力発電会社「JERA」を設立〔「株式会社JERA」(呼称:ジェラ)の設立について (2015年4月15日、東京電力・中部電力プレスリリース)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中部電力」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chubu Electric Power 」があります。 スポンサード リンク
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