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中野三敏 : ミニ英和和英辞書
中野三敏[なかの みつとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [み]
  1. (num) three 

中野三敏 : ウィキペディア日本語版
中野三敏[なかの みつとし]
中野 三敏(なかの みつとし、1935年昭和10年)11月24日 - )は、日本日本文学研究者江戸から明治期の近世文学を中心に研究九州大学名誉教授(元文学部長)。
== 略歴 ==
福岡県に生まれ佐賀県で育つ。父 中野敏雄は戦前、高額納税者勅選議員、戦時中は、海軍参与官で、戦後GHQにより公職追放にあったが、後1954年合併によって誕生した佐賀県武雄市の初代市長に就任。102歳の長寿を保った。
久留米大学附設高校在学中に江戸川乱歩谷崎潤一郎泉鏡花永井荷風などを耽読し、小説家を志す。一浪後、早稲田大学第二文学部に入学。もともと小説家になって中退するつもりだったが、中央公論新人賞に落選したことで作家の夢を諦め、早稲田大学大学院へ進む。在学中、石丸久鵜月洋山沢英雄暉峻康隆らに学んだ。
洒落本の研究を進めるうちに中村幸彦に傾倒した。帰省の折りに九州大学の中村を訪ね、書簡のやりとりを続け、中村は終生の師となった。近世研究会の三古会や掃苔会に参加する中で丸山季夫森銑三高浜二郎らの薫陶を受け、やがて近世の文人達に興味をもつ。国会図書館日比谷図書館などに通い、本郷上野神保町にある古書店の常連客となり、ひたすら和本を漁る。古書市にも多く通い、古書肆反町茂雄に出会っている。また中村の兄弟子野間光辰の知遇を得た。雑誌「経済往来」に文人伝の掲載をはじめ、1977年毎日新聞社から『近世新畸人伝』として出版された。1964年漢学者である早川祐吉の娘裕子と結婚。結婚式は宇野哲人塩谷温なども列席して、儒式で執り行われた。
1966年、名古屋愛知淑徳短期大学に職を得て赴任。長沢規矩也の信任を得て学会誌「書誌学」への寄稿を始める。また古書肆 藤園堂を通じて書誌学者尾崎久弥横山重の知遇を得る。かつて森銑三が目録を整理した西尾市岩瀬文庫や刈谷図書館に足繁く通い和本の知見を広げた。この頃、水田紀久多治比郁夫肥田晧三との交わりを深めている。
1972年、中村幸彦関西大学に転出した跡を受け、今井源衛の要請に応じて九州大学文学部助教授となる(このとき、前田愛も要請されたが断っている)。1981年、博士論文『戯作研究』が出版され、賞を受賞(年譜を参照)。1982年、教授へ昇任し、文学部長を歴任。退官後は九州大学名誉教授となり、福岡大学人文学部教授(2006年まで)。1998年紫綬褒章2010年文化功労者
2013年1月10日、皇居正殿「松の間」での講書始において「江戸文化再考」と題したご進講を行う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中野三敏」の詳細全文を読む




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