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中野 敦之(なかの あつし、1981年2月14日 - 、出身地:愛知県、血液型:A)は、演出家・横浜国立大学教職員。劇団唐ゼミ☆の代表として舞台を演出する他に、幅広いイベントの演出家としても活躍、横浜国立大学の室井尚が芸術家椿昇と組んで横浜トリエンナーレ2001に出展したインセクトワールドの設営作業に関わり、その後横浜開国博「Y150」に同作品が再出展した際には、同作品の運営、演出を担った。 ==来歴・人物== 1999年横浜国立大学教育人間科学部に入学後、同大学で教鞭を取っていた唐十郎に師事、最初学内の演劇サークルに所属するが暫くして脱退、同じく脱退した仲間と共に劇団「八秒台劇場」を設立、数回公演をした後に、三年次に唐のゼミナールに仲間を引き連れて入る。その際にずっと中野と行動を共にしたのが、現在劇団唐ゼミ☆の2大看板女優である椎野裕美子と禿恵。彼らは唐ゼミとしては2期生となる。 ゼミナールに加入後は、中野が演出家兼代表として唐ゼミを率い、2001年12月に遂に第1回公演(唐ゼミナールとしては第2回)「腰巻お仙~義理人情いろはにほへと篇」を唐組の初代紅テントを借りて行なった。 唐ゼミはその後も公演を重ね、唐の紅テントにあやかった青テントを持って全国公演も行なうようになる。2005年1月には横浜国立大学を同年度で退官する唐の最終講義を中野が演出、唐ゼミが総力を挙げての大イベント「唐十郎教授最終講義」を成功させた。 唐退官後、唐ゼミは劇団唐ゼミ☆として正式発足。2005年9月には「盲導犬」「黒いチューリップ」を新国立劇場で公演〔公演データ シアターガイドサイト内〕、中野は同劇場の最年少演出家として名を残す。 その後も青テントを用いて、新東京タワー建設予定地(「ユニコン物語」)、池袋西口公園(「鉄仮面」)など様々な場所での公演を行い、2008年に1973年に唐がラジオドラマとして書いた「ガラスの少尉」を舞台として初上演、2009年10月には唐十郎中期の名作「下谷万年町物語」を作中の舞台でもある浅草で公演し、28年ぶりの再演を行なった。 2010年5月には川崎市岡本太郎美術館において、初の書き下ろし作品となる「したぎと中世~わたしは驢馬になって下着をうりにゆきたい~」を「ユニコン物語」の一部を改訂して「下谷万年町物語」のセットを使い、「前衛下着道―鴨居羊子とその時代」岡本太郎・今東光・司馬遼太郎・具体美術協会展のパフォーマンスとして公演。 2010年7月には第17回公演「蛇姫様―わが心の奈蛇」を浅草花やしき裏にて、青テント公演。 すべての演出作品には、必ず唐十郎本人の監修が入る。 2015年7月、初のプロデューサーとして飯田譲治初舞台作品『戯曲Operation』(主演鳳恵弥、作・監修飯田譲治、演出久米伸明)を行う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中野敦之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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