翻訳と辞書
Words near each other
・ 中野邦一
・ 中野邸美術館
・ 中野郁海
・ 中野郵便局
・ 中野都市圏
・ 中野里皓史
・ 中野里美
・ 中野重人
・ 中野重治
・ 中野量太
中野鈴子
・ 中野鉄造
・ 中野長者
・ 中野長者橋出入口
・ 中野陣屋
・ 中野隆夫
・ 中野隆次
・ 中野隆良
・ 中野雄
・ 中野雄一郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中野鈴子 : ミニ英和和英辞書
中野鈴子[なかの すずこ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

中野鈴子 : ウィキペディア日本語版
中野鈴子[なかの すずこ]

中野 鈴子(なかの すずこ、1906年1月24日 - 1958年1月5日)は、日本詩人
== 経歴 ==
福井県坂井郡高椋村(現在の坂井市丸岡町)一本田に生まれた。作家、政治家の中野重治は次兄。坂井郡立女子実業学校(現福井県立三国高等学校)を卒業、郷里で2度望まない結婚をし、2度離婚を勝ち取った。
1929年4月、中野をたよって上京。1930年、検挙された小林多喜二の救援活動の中心を、原泉村山籌子とともに担った。この活動を通して第一線のプロレタリア詩人として成長し、1931年日本プロレタリア作家同盟に加入した。1932年1月、宮本百合子編集長のもとで『働く婦人』編集部員となり、昭和東北大飢饉取材記事を3回にわたり同誌に連載するなどの仕事をした。この間『戦旗』『ナップ』『プロレタリア文学』『働く婦人』などに詩や小説を発表した〔川西政明『新・日本文壇史 第4巻 プロレタリア文学の人々』岩波書店、2010年11月26日 pp.93-154〕。1936年結核療養のため帰郷、父母を助けて農業に従事した。
1949年秋、有志とともに新日本文学会福井支部を結成し、朝鮮戦争さなかの1951年4月には「戦争やめよ、県民の平和の声を発表しよう」と、文芸誌『ゆきのした』を創刊した。〔ゆきのした文化協会のあゆみ(沿革)
筆名は一田アキで、詩集に「花もわたしを知らない」などがあり、『中野鈴子全著作集』が刊行されている。〔中野鈴子 なかの-すずこ デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説〕〔鷺只雄 「壺井栄論(13) : 第四章 文壇登場」 『都留文科大学研究紀要』 60, 84-66, 2004〕
一本田の生家跡に、「花もわたしを知らない」と刻まれた文学碑がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中野鈴子」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.