|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 鉢 : [はち] 【名詞】 1. a bowl 2. a pot 3. a basin 4. a flowerpot 5. a crown 6. a brainpan ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty
中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 - 2013年7月11日)は、日本の経済学者、経済心理学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 「生活」をキーワードに、心理学・生態学の視点を加えて人間の経済行動を学際的に研究し、「生活構造論」の方法を確立する傍ら、行政の各種諮問委員として幅広くフィールドワークを行い、日本の社会政策、社会保障の充実に寄与した。元(財)地域開発研究所所長。第4回今和次郎賞受賞。 == 経歴 == (「回想・林試の森」(1995)P.203~205より作成) *中鉢不二郎(医師)の長男として東京に生まれる。 *1933年(昭和8年)慶應義塾普通部(旧制)入学、在学中に昆虫や貝類の研究に興味を持ち、生物学を志すが果たせず〔「林試の森」P.191〕。 *1940年(昭和15年)慶應義塾大学経済学部に進学、翌年から自然科学と経済行為との接点を求めて経済心理学を専攻。指導教授は藤林敬三〔「林試の森」P.131〕。 *在学中にヒックスの消費者選択の理論とゲシュタルト心理学(横山松三郎に師事)を研究し、心理学用語の「履歴効果」が人間の経済行動に現れる事に注目する。〔 *1943年(昭和18年)大学院特別研究生。在籍中に結婚〔「新版・生活構造論」P.203〕。 *1946年(昭和21年)慶應義塾大学経済学部助手、中央労働学園嘱託となるも、直後に長期間病気療養〔「林試の森」P.203〕。 *1949年(昭和24年)鎌倉に転居(1966年まで居住)、鎌倉アカデミア創立者の三枝博音の知遇を得る〔「非技術の世界」三枝博音著作集 月報7 1973年3月〕。また美術・建築から「生活学」「考現学」を提唱した今和次郎に私淑して実証研究を志す〔「歴史公論」1983年7月号〕。 *1950年(昭和25年)厚生科学研究費による最低生活費と生活保護基準に関する調査研究(主査・大河内一男)に参加〔。 *1951年(昭和26年)慶應義塾大学経済学部助教授。医学・衛生学出身の籠山京に師事、労働力再生産過程を視野にマルクスの労働力概念を独自の立場から研究〔。 *1956年(昭和31年)籠山の医学的知見と経済学的分析を総合した「生活構造論」(好学社)を上梓〔。 *1950年代より、日本建築学会(住宅困窮度の判定)、厚生省(中央賃金審議会、厚生統計協議会、医療保障委員)、行政管理庁(統計審議会)、農林省(米価審議会)、経済企画庁(経済審議会)などの各種委員を歴任〔「新版・生活構造論」P.204〕。 *1957年(昭和32年)慶應義塾大学教授〔。 *1960年(昭和35年)経済学博士。(論文「家庭生活の構造における履歴効果」)〔。 *1964年(昭和40年)-1965年 米ミシガン大学日本研究センターに派遣〔。 *1965年(昭和40年)社会保障研究所専門委員、厚生省の原爆医療審議会委員〔。 *1966年(昭和41年)より厚生省衛生局による原爆被爆者生活実態に関する面接調査を広島にて実施。その後1975年(昭和50年)にも再調査〔。 *同年より、厚生省(家内労働委員会)、東京都(東京都公衆浴場料金協議会、環境衛生適正化審議会)、文部省(学術審議会諮問委員)、総理府(婦人に関する諮問調査会、社会保障制度審議会、婦人問題企画推進会議)などの委員を歴任。 *1969年(昭和44年)慶應義塾大学通信教育部長〔。 *1969年(昭和44年)-1971年(昭和47年)慶應義塾大学経済学部長 *1969年(昭和44年)-1976年(昭和51年)(財)地域開発研究所所長(前任は寺尾琢磨、後任は高橋潤二郎〔「30年のあゆみ」(財)地域開発研究所1995年〕)、又この間、お茶の水女子大学、上智大学、日本社会事業大学、日本女子大学、東京大学(就任順)で非常勤講師。 *1973年(昭和48年)7月、社会福祉法人恩賜財団慶福育児会評議員・理事〔。 *1975年(昭和50年)7月、日本生活学会研究会担当理事 *1978年(昭和53年)日本生活学会より第4回今和次郎賞受賞。対象研究は「高齢化社会の家族周期」 *1979年(昭和54年)一橋大学での被爆者生活実態調査の会議途中に脳梗塞で倒れ療養〔「新版・生活構造論」P.205〕。 *1982年(昭和57年)放送大学開学準備委員。開学後は引き続き「生活史」講座を担当。 *1986年(昭和61年)慶應義塾大学を定年退職〔「近代日本の生活研究」付属年表〕。 *1987年(昭和62年)小松短期大学開学準備委員。引き続き教授。 *1995年(平成7年)研究の集大成として「新版・生活構造論/回想・林試の森」(私家出版)を上梓。 *2013年(平成25年)7月11日、老衰のため死去〔中鉢正美氏死去(慶應大名誉教授) 時事ドットコム 2013年7月12日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中鉢正美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|