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串木野純也 : ミニ英和和英辞書
串木野純也[くしきの じゅんや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くし]
 【名詞】 1. spit 2. skewer
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 
: [なり]
 (n) a sum of money

串木野純也 : ウィキペディア日本語版
串木野純也[くしきの じゅんや]

串木野 純也(くしきの じゅんや、1954年4月5日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は、串木野 光夫( - みつお)。宮崎県東諸県郡出身。元日本ウェルター級王者。現役時代は宮崎ボクシングジムを経て進光ボクシングジム所属〔。
右ストレートを武器とするハードパンチャー〔増田茂 「浪速の倒し屋 串木野純也」『ワールド・ボクシング』7月号増刊、日本スポーツ出版社、1993年7月31日 共通雑誌コードT1009804071109 雑誌09804-7、146頁。〕。13度の防衛戦では12試合にKO勝利を収めた。これには日本王座の最多連続KO防衛記録となる10戦連続KO勝利が含まれる。また、王座獲得前からの通算では12戦連続KO勝利であった。
== 来歴 ==
1972年11月29日、プロデビュー戦には3RTKO勝利を収めた。2戦目で判定負けを喫して引退し、自衛隊に入隊。自衛隊体育学校時代の1975年には全日本選手権及び全日本社会人ボクシング選手権大会で3位の成績を残し、翌1976年に再デビューを果たした〔。6戦目から10回戦を戦い、25戦目まではウェルター級 からミドル級の契約で、日本人選手以外に朱虎、林載根、李萬徳、黄忠載など韓国の世界ランカーとも対戦を重ねた〔。これらの対戦にはOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級、OPBF東洋太平洋ウェルター級、日本ジュニアミドル級の各王座挑戦も含まれるが、いずれも失敗に終わった。
1980年7月1日の21戦目では亀田昭雄の持つ日本ウェルター級王座に挑戦したが、ボディを強打されて8RKO負けを喫し〔、25戦目を終えての戦績は14勝 (10KO) 11敗 (6KO) というものだった。26戦目となった1981年9月7日、日本ウェルター級タイトルマッチで亀田昭雄に再挑戦。結果は小差判定負けに終わったが、9Rには右フックから左右の追撃で世界挑戦の決まっていた亀田からダウンを奪い、この試合を転機として強打に精神的余裕が生まれ、豊富な練習を重ねて技術を向上させた〔。同年10月13日、亀田の返上した日本ウェルター級王座をダイナマイト松尾と争った決定戦では判定負けとなったが、翌1982年1月18日の松尾との再戦で9RKO勝利を収めて同王座を獲得した。
1985年6月6日、尾崎富士雄に判定負けを喫して王座を失うまで、3年半近くの在位期間中に10戦連続KO防衛の日本記録、全12KOを含む13度の防衛を果たした。同年8月29日、尾崎からの王座奪取に挑戦したがTKO負けを喫した。眼疾を発症していたため〔、この試合を最後に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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