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丸井今井(まるいいまい、英称:Marui-Imai)は、北海道内にある日本の百貨店である。明治期に北海道唯一の呉服店として始まり〔 (岡村書店, 1915) 〕、最盛期には道内7店舗を展開し、北海道随一の百貨店グループに成長したが、経営不振から2009年に倒産し〔東京商工リサーチ〕、現在は三越伊勢丹ホールディングスが2店舗を以下の完全子会社2社に分けて運営している。 *「丸井今井札幌本店」(株式会社札幌丸井三越) *「丸井今井函館店」(株式会社函館丸井今井) == 歴史・概要 == === 創業から第2次世界大戦前まで === 1872年(明治5年)4月に新潟県三条町(現在の三条市)出身の今井藤七が同郷の高井平吉と共同で札幌の創成橋(現在の札幌市中央区南1条西1丁目)の近くの創成川河畔にあった茅葺きの家屋の一角にむしろ敷きの屋台の様な店舗で〔小間物店〔今井商店を開業したのが始まりである。 低価格と誠実さ・勤勉さが評判となって開業前に仕入れた商品を2ヶ月で売り切るほど繁盛し〔、2年後の1874年(明治7年)には店舗を新築・移転して丸井今井呉服店を開店した〔。 当初は創業前まで今井藤七が在住していた函館〔と頻繁に往復して仕入れていた〔が、この形態では東京と函館の問屋を二重に経由して割高となるため1891年(明治24年)に東京に仕入店を開設するなど東京の問屋から直接仕入れに早くから切り替え〔、開拓途上の北海道にできるだけ豊富で低価格に物資を供給して移住者の生活安定に寄与しようとし〔、1879年(明治12年)からは正札販売を開始した〔。 こうした営業姿勢が評判を呼んでこの頃から尊敬と親しみを込めてまるいさんと敬称をつけて呼ばれるようになったといわれる〔。 1888年(明治21年)には今井洋装店を開業して洋服などの販売に乗り出した〔ほか、 1890年(明治23年)に滝川支店を開設したのを皮切りに道内各地に支店展開を始め、1891年(明治24年)10月に〔小樽の色内に丸井今井呉服店小樽支店、同年11月に室蘭市中央町に丸井今井呉服店室蘭支店、1892年(明治25年)4月25日には当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収し今井藤七の末弟今井良七に任せて函館丸井今井呉服店〔、1897年(明治30年)10月〔には丸井今井呉服店旭川支店〔など函館から旭川にいたる道南から道央まで広がる店舗網を構築した。 そして1916年(大正5年)には札幌大火からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始した。 1898年(明治31年)1月に合名会社今井商店として法人化し〔、1919年(大正8年)2月には株式会社今井商店に改組して〔株式会社化し、1923年(大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して函館支店の百貨店営業を開始したほか、同年には小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の小樽サンモール一番街)に移転する〔と同時に百貨店としての営業を開始する同年には旭川支店も百貨店としての営業を開始する〔など支店の百貨店化を開始し、室蘭支店も昭和に入ってから百貨店する〔など各支店の百貨店化を進め、第2次世界大戦前から道内各地に店舗を展開する百貨店網を構築した。 この間の1924年(大正13年)に失火により札幌本店が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり〔、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた札幌本店を新築して復興し〔、1930年(昭和5年)11月2日に函館支店を5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルームなどの施設も導入し〔、1934年(昭和9年)に函館大火により函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる〔など早くから近代的な施設の整備を進めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸井今井」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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