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丹下梅子 : ミニ英和和英辞書
丹下梅子[たんげ うめこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たん, に]
 【名詞】 1. red 2. red earth 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

丹下梅子 : ウィキペディア日本語版
丹下梅子[たんげ うめこ]

丹下 梅子(たんげ うめこ、1873年3月17日 - 1955年1月29日)は、日本の栄養学者で、日本初の女性農学博士である。女性で初めて帝国大学に入学、卒業した。
資料によっては、丹下ウメと表記しているものもある。
==人物・生涯==
1873年(明治6年)に鹿児島県鹿児島府下金生町ほか十四町(現在の山形屋鹿児島本店付近)の商家、戸高丹下伊左衛門と丹下エダの三女として生まれる。幼年時にままごとの竹箸を持ちながら走っていたときに転倒して竹箸が右眼に刺さり、失明する。
鹿児島師範学校(現在の鹿児島大学教育学部)を卒業後、当時の女子師範附属尋常小学校(現在の鹿児島市立名山小学校)の教師になる。28歳で日本女子大学校家政科一回生に入学、卒業後に女性初の中等化学教員検定試験に合格する。1913年(大正2年)に宮城県仙台市東北帝国大学理科大学化学科へ入学し(当時は他の帝国大学、専門学校は女子及び旧制高等学校以外の出身者の入学は認めていなかった)、同時に入学した黒田チカ牧田らくと共に女性初の帝大生となる。
東北帝大卒業後、アメリカ合衆国スタンフォード大学などで栄養化学を修める。帰国後は母校である日本女子大学校の栄養学の教授を務め、理化学研究所に入所し鈴木梅太郎のもとでビタミンの研究を行った。1940年(昭和15年)にビタミンB2複合体の研究で東京帝国大学から農学博士の学位を受ける。1955年(昭和30年)、82歳で死去するまで独身を通し、女性化学者の先駆者として学究一筋の生涯であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹下梅子」の詳細全文を読む




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