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丹波忠守 : ミニ英和和英辞書
丹波忠守[たんば の ただもり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たん, に]
 【名詞】 1. red 2. red earth 
: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

丹波忠守 : ウィキペディア日本語版
丹波忠守[たんば の ただもり]
丹波 忠守(たんば の ただもり、文永7年(1270年)? - 康永3年/興国5年6月22日1344年8月1日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての医師官人歌人典薬頭丹波長有長男。子に雅守がいる。官位は四位・宮内卿。
== 生涯 ==
大覚寺統に仕え、医師でありながら後宇多上皇上北面となるなど重用された。権侍医隼人正を歴任後、嘉元3年(1305年5月7日従四位下に叙せられる〔『実躬卿記』〕。後醍醐天皇即位した文保2年(1318年3月20日施薬院使に任じられた。
元徳2年(1330年7月25日典薬頭に任じられ〔『典薬頭補任』〕、翌元弘元年(1331年)には6月15日宮内卿に抜擢されている〔『玉英記抄』官位部〕。当時の抜擢振りについては、『徒然草』において三条公明に侮辱される話が描かれている〔『徒然草』103段〕。ところが、元弘の変で後醍醐天皇の倒幕計画に関与した疑いで六波羅探題に拘束され〔『花園院宸記』元弘2年(1332年)2月6日条〕、間もなく出家に追い込まれた。法名は寂阿
康永3年(1344年)6月22日に京都にて死去〔『師守記』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹波忠守」の詳細全文を読む




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