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丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - )は、日本の元俳優。本名は中村 進。昭和30年代後半の大映時代劇映画の主演級スター。また昭和40年代テレビ特撮番組の悪の幹部役の怪優としても知られている。 東京市芝区芝浦町(現、東京都港区芝浦)出身〔。身長172cm。明治学院高等学校、明治学院大学卒業。 ==来歴・人物== 冷蔵船用冷蔵庫を製作していた父の一人息子として生まれる〔。1954年、俳優を志し、大学在学のまま、松竹音楽学校附属研究所に入り、7ヶ月後の同年7月、新東宝に入社〔。「中村 又三郎」の芸名で、『地獄屋敷』でデビューしたのち、数本の映画に出演したが、社内事情のため、1956年に新東宝を退社する。黎明期のテレビに活躍の場を移し、『日真名氏飛び出す』や『お役者文七 花の絵姿』といったドラマに出演しながら、1957年に大学を卒業〔。 1960年、田端義夫の弟の紹介で大映京都撮影所に入社し、「丹羽 又三郎」に改名〔。『幽霊小判』に主演し、時代劇スターとして再出発する。同作は低予算の白黒映画であったが、大スター市川雷蔵がカメオ出演したこともありソフト化されている。この映画で端整な顔立ちの二枚目ながら妖しげな雰囲気をも漂わせる独特の個性で演じている。 その後はいくつかの低予算映画に主演する一方、雷蔵の『斬る』や勝新太郎の『不知火検校』など大スターの代表作にも重要な役で助演している。しかし日本映画、特に時代劇は急激に衰退していく時期であり、映画では活躍の場を失い、1960年代後半になると主に悪役としてふたたびテレビドラマに活動の場をシフトしていく。 1967年、東映制作の特撮テレビドラマ『ジャイアントロボ』で悪の結社BF団の初代日本支局長スパイダーを演じた。このキャラクターは特撮における悪の人間体幹部の草分けの一人といえる。1972年には『仮面ライダー』でゲルショッカーの冷酷非道な大幹部ブラック将軍を演じ、特撮ドラマ史に名を残した。ブラック将軍は『仮面ライダー』最終回で倒されるが、最終回がオンエアされた翌朝、自宅に子供たちが花束を持って押しかけてきて「長い間悪役を演じて、花束を貰ったのは初めて」と、プロデューサーの平山亨に感激したことを伝えている〔藤岡弘、『仮面ライダー=本郷猛』 扶桑社、2008年、163-164頁。〕。 テレビ時代劇やアクションドラマでも凄腕の剣客や殺し屋、ギャング団のボスなどの役を数多く演じ、個性派の悪役として活躍していたが、1970年代半ば頃に渡米〔。帰国後の1975年、ブティック「ガーベラ」の共同経営に乗り出し、芸能界から遠ざかっている〔。近年は仮面ライダー関連の出版物も多く発行され、ネット上にも情報が氾濫しているにもかかわらず長い間消息が掴めない状態が続いていたが、2013年に開催された市川雷蔵ファンの集いのゲストとして久しぶりに公の場に姿を見せた〔雷蔵ファンの広場 「とうとう、雷讃会当日がやってきました(^_^)」 〕。 また、2015年5月発売の『仮面ライダーSPIRITS』第11巻の巻末においてインタビューに答え、当時の役者デビュー、廃業からガーベラ経営やブラック将軍の役についてなどを語っており「もしまた丹羽又三郎演じるブラック将軍が求められるような機会があるのなら、今度こそ全身全霊を懸けてみなさんによろこんでもらえる演技をしたいと思います」と答えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丹羽又三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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