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丹羽 大輝(にわ だいき、1986年1月16日 - )は、大阪府河内長野市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。日本代表。格闘家の丹羽圭介は実兄。 == 来歴 == 地元河内長野市の南花台JSCに在籍し、中学生時代からガンバ大阪の下部組織に所属した。 2001年、ユースチームに昇格し、高校1年次にU-15日本代表に選ばれる。同年センターバックのレギュラーポジションを掴み、翌年2002年、Jユースカップ優勝に貢献。高校3年次にはユースチーム所属ながらトップチームにも帯同して練習していた。ユースチームではキャプテンを務め、2002年のU-17アジアユース選手権に出場し、大会ベストイレブンに選出されるなど評価を得て、守備の要として活躍した。 2004年、高校卒業後に正式にガンバ大阪のトップチームに昇格(同期昇格は寺田紳一、三木良太)したが、3年間出場機会に恵まれなかった。 2007年、J2・徳島ヴォルティスへレンタル移籍で加入。開幕戦からボランチとして出場、先制点アシストを記録するなど活躍し、堂々のJリーグデビューを果たした。攻守でバランスをとるプレーが特徴で、特にボランチのアンカー役として、出場停止を除く全45試合に出場し、1年間チームの中心的存在として活躍した。 2008年はJ1の大宮アルディージャへレンタル移籍で加入。しかし、レギュラーを掴めず、ナビスコカップ2試合のみの出場に終わり、シーズン途中の8月にJ2・アビスパ福岡にレンタル移籍した。福岡に加入後、初めての試合でセンターバックとしてフル出場し、先制点をヘディングで奪うなど古巣の徳島相手に3-1の勝利に貢献した。その後もセンターバックとして活躍した。 2009年、福岡へのレンタル期間を1年間延長し、センターバックとしてシーズン中にレギュラーポジションを掴み、その後はゲームキャプテンを務めるなどして活躍した。2010年、レンタル期間を1年間延長し、チーム主将、選手会長としてチームをまとめ上げ、福岡の5年ぶりのJ1昇格に貢献した。2011年も三度レンタル期間を延長。自身はJ1初出場を含むリーグ戦30試合に出場したが、チームは17位と低迷し、1年でJ2へ降格した。 2012年、期限付き移籍満了により6シーズンぶりにガンバ大阪に復帰〔DF丹羽大輝選手 ガンバ大阪へ復帰のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年12月27日〕〔丹羽 大輝 選手 期限付き移籍満了のお知らせ アビスパ福岡オフィシャルサイト、2011年12月27日〕。この年、怪我人が続出したチーム事情から本職のセンターバックのほかにサイドバックなどでも起用された。 2013年、シーズン序盤は控えに回ることが多かったが、レギュラーの岩下敬輔の負傷離脱以降スタメンに定着し、ガンバのJ1昇格とJ2優勝に貢献。J2第38節徳島戦では、自身3年ぶりガンバ入団後では初のリーグ戦の得点を決めた。 2014年、シーズン当初は守備面で不安定なプレーが目立ち中盤はレギュラーから外れたが、西野貴治が負傷離脱し再びレギュラーに復帰する。以降、安定したプレーで失点数リーグ2位タイに抑えたディフェンス陣を支え、ガンバのリーグ優勝さらに国内三冠に大きく貢献した。 2015年6月18日に行われる2018 FIFAワールドカップ・アジア予選のシンガポール代表戦のサッカー日本代表メンバーに初選出された。8月9日、 東アジアカップ2015の対中国戦で国際Aマッチデビューを飾った。この年ガンバでは他のセンターバック陣が怪我に泣かされる中、唯一怪我なく1年を乗り切りリーグ戦全試合にフル出場し、同年度の日刊スポーツ 提供「黄金の脚賞」を受賞した。CS準決勝浦和戦では延長後半に自らが蹴った浮き玉気味のバックパスがあわやオウンゴールになりかけるも、間一髪免れそこから繋いだボールから藤春廣輝の決勝点が生まれるという珍しいことが起こり、海外メディアからも紹介された。本人によると蹴る瞬間にボールが跳ねたため浮き玉になってしまったとのこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丹羽大輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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