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新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城である。別名は丹鶴城(たんかくじょう)。また、沖見城(おきみじょう)とも称された〔水島 (1995)、198頁〕。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている(2003年〈平成15年〉8月27日指定)。 == 概要 == 新宮城は、熊野川沿岸の田鶴原(たづはら)と呼ばれたあたりの小高い丘である丹鶴山(現在の和歌山県新宮市新宮字丹鶴)に築かれた平山城である〔。別名・丹鶴城は、もとこの地に、源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴姫の住まいがあったことによる〔城5 (1996)、144頁〕。ちなみに、「堀内新宮城」(別名・堀内屋敷)を築城した堀内氏〔水島 (1995)、202頁〕以前に、熊野地方を統治した新宮氏の祖とされる新宮十郎行家(源頼朝の叔父)は、丹鶴の弟である〔日本城郭大系10 (1980)、555-556頁〕。現在の地に築城したのは浅野忠吉であり、一国一城令により一度廃城した後、忠吉が再築城した新宮城には、大・小の天守や二ノ丸(水野氏時代には鐘ノ丸)などがあった〔日本城郭大系10 (1980)、553頁〕。松ノ丸のある姿となったのは水野2代重良の頃である〔〔水島 (1995)、199頁〕。 堀内氏時代の「堀内新宮城」(堀内屋敷)の城跡は、全龍寺の境内となり、寺の西側に水堀が残る。浅野・水野氏時代の「新宮城」の城跡には石垣が残されている。1952年(昭和27年)には、新宮城本丸周辺は民有地となっており、当時旅館業を営んでいた業者が旅館「二の丸」入口(登坂〈とさか〉側登り口。本来の水野氏時代の二ノ丸は、現在の正明保育園の場所に位置する)と本丸を結ぶケーブルカーを運行していたが、ケーブルカーは1980年(昭和55年)に休止し、1990年代正式廃線となっている。現状は、民有地時代のケーブルカー跡なども残るが、本丸のほか主な城域が公有地化されて丹鶴城公園となっており、「和歌山県朝日夕陽百選」にも選定されている。地下には紀勢本線のトンネルが通されている。また、東側の一部は天理教南海大教会の敷地の一部になっている。現在、新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新宮城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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