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久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。なお、兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。 ==来歴・人物== 当時の東京市杉並区阿佐谷生まれ〔木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 116-117頁〕。 父親は陸軍軍人で転属により、小学校2年のとき北海道札幌市へ移り、終戦の年に両親の故郷・富山県富山市へ疎開し、その後高校卒業まで富山で育つ〔。富山市立西田地方小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校〔高校生の時に10歳上の女性と恋愛関係にあった。エッセイ「肉体の悪魔」(『わが心に歌えば』で同名映画を語った )や「北国の冬」(朝日新聞1994年7月26日)に書き、『燃える頬』のモデルとなった。市内の喫茶店チェリーや白樺で、「鮮やかに美しすぎた」人妻と1年の恋をして別れた。〕、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現・TBS)入社。同期に、鴨下信一・柳井満・山本文郎らがいる。 演出家、プロデューサーとして『寺内貫太郎一家』、『時間ですよ』などテレビ史に残る数多くのテレビドラマを製作した。1979年、不倫スキャンダルが週刊誌で公となり、TBSを退社。1980年に制作会社「カノックス」を設立。 1987年に出版された処女作『昭和幻燈館』を皮切りに、作家活動を本格的に開始。小説・評論・エッセイなど幅広く執筆活動を行った。50歳を過ぎてのスタートにもかかわらずその活躍はめざましく、独自の耽美的な作風を確立して多くの文学賞を受賞。他にドラマ制作現場で文字通りの「戦友」だった向田邦子を巡るエッセイが人気を博した。 2006年3月2日、虚血性心不全のため都内の自宅で死去。。生前はどんな病気でも入院することを嫌っていた。軽い糖尿病を患っていたほか、数年前には副交感神経関係の手術を受け、脳梗塞からの回復の途上でもあったが、死の直前まで仕事を抱えており、多くの関係者を驚かせた急死だった。2006年3月6日自宅にて通夜、翌3月7日、東京都文京区護国寺桂昌殿にて告別式が営まれた。弔辞は、小林亜星と作家の伊集院静の二人が読んだ。 2010年12月、没後から約5年を経て、妻・朋子が久世との出会いからその人柄、突然の別れまでを綴ったエッセイ『テコちゃんの時間-久世光彦との日々』を上梓した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久世光彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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