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久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - )は、日本の宇宙航空エンジニアであり、日本の宇宙開発の草分け的存在である。 == 来歴 == 1930年(昭和5年)5月に満州奉天(現・中国東北地方瀋陽)に生まれる。戦後鹿児島県伊集院町に引き上げ、旧制第七高等学校、鹿児島大学理学部物理学科を卒業後、1953年(昭和28年)運輸省運輸技術研究所航空部に入所。航空機の風洞実験などを学ぶ。1955年(昭和30年)新三菱重工(現・三菱重工業)名古屋航空機製作所に入社。技術部の空力研究課、電子技術課、飛翔体基礎設計課などで、航空機に関する実験、設計などを行い、国産旅客機YS-11の開発にも携わった〔南日本新聞夕刊1965年(昭和40年)6月4日〕。 1970年(昭和45年)宇宙開発事業団(NASDA)(現・宇宙航空研究開発機構(JAXA))に入社。ロケット・システムグループ、システム計画部、初代のスペースシャトル利用推進室長〔澤岡昭 「宇宙との出会い 」 - 大同大学 Sawaokaweb〕、国際部長、打上げ管制部長、種子島宇宙センター所長などを経て、宇宙環境利用・国際関係担当理事となる。1992年(平成4年)宇宙開発事業団理事退任後は、有人宇宙システム(株)代表取締役社長(- 1996年)、同特別顧問(- 1998年)などを務め、引き続き航空技術や宇宙開発に貢献した〔航空情報665号1999年7月〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久保園晃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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