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久保田利伸 : ミニ英和和英辞書
久保田利伸[くぼた としのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [のし]
 【名詞】 1. an iron 

久保田利伸 : ウィキペディア日本語版
久保田利伸[くぼた としのぶ]

久保田 利伸(くぼた としのぶ、1962年7月24日 - )は、日本のシンガーソングライター音楽プロデューサー静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区)出身。身長170cm、体重59kg。血液型O型。別名・愛称は「ファンキー久保田」「クボジャー」「キング・オブ・Jソウル」「久保やん」「クボトシ」等。自他共に認めるファンキーなキャラである。
== 人物 ==
実家は青果店を営んでおり、父親はスイカを叩くだけで、良し悪しが分かるほどであったという。また、『笑っていいとも!』に初登場した際に久保田が語ったところによれば、一家揃ってファンキーなキャラクターで(母親はそうでもないとの本人の話)〔当時の家族構成は本人、両親、姉2人で、いずれも一般人のため氏名は公表されていない。〕、青果店の店主である父親は客が来ると、フィンガーチップスを鳴らしながら「らっしゃい」と言っていたという〔また、久保田自身は幼少時代から野菜を自転車で配達する等の手伝いもさせられていたとの事。その青果店は明治時代から6代続いているが、久保田自身は青果店を引き継ぐことなく、音楽業界に飛び込んでいる。〕。
少年時代は野球少年で、元日本ハムファイターズ広瀬哲朗は地元・中学時代の2年先輩・チームメイトだった(後年、久保田と広瀬は日本ハムCMで共演している)。広瀬の入団以来ファイターズを応援し続けている。高校時代まで野球に勤しみ、いわゆる球児だった。
2013年7月に小林克也のラジオにゲスト出演した際、自身の音楽の原点は中学から高校時代にかけて毎日聴いていたスティーヴィー・ワンダーで、現在でもリスペクトしていると語っている〔久保田利伸 音楽の原点はSワンダー デイリースポーツ 2013-07-07〕。
静岡県立静岡商業高等学校に入学。商業高校ということもあって、在学中に簿記検定などの資格も取得した。
高校を卒業後、駒澤大学進学と同時に上京。在学中に軽音楽部ロック研究会に属し、そこで出会った羽田一郎とアマチュアバンド「HOTTENTOTS」(ホッテントット)を結成。翌1982年には、ヤマハ主催のコンテスト「EAST WEST '82」に出演し、ベスト・ボーカリスト賞を受賞。(このコンテストで披露された演奏は、レコードに収録され発売された。またバンド在籍時の久保田は、アフロヘアーに口ひげを生やしていた〔2010年現在の久保田も口ひげにアフロヘアーである。〕。)頻繁に髪型を変える〔1986年から1990年代は髪を突き上げたツンツンヘアー、1996年頃はチョンマゲ、現在はアフロ金髪にしていたこともある。〕。
1985年に大学を卒業後、音楽プロデューサーとしてキティミュージックとの作家契約で音楽業界に入り、1980年代には20代前半という若さで多くの歌手、アイドルに楽曲提供をしていた。主な相手としては、田原俊彦中山美穂小泉今日子鈴木雅之GWINKO荻野目洋子芳本美代子小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズ。特に田原には1985年から1993年までの間に多くの楽曲を提供している。1990年代に入ってからも、清水美恵、西田ひかる森高千里TOKIO高橋真梨子などに楽曲を提供、ここ数年にもCHEMISTRYMISIAISSA山田優などに提供している〔本人が歌手デビューする前、母親からは相当心配されていたが、父親からは反対はされていなかったとのことである。〕。
2004年、ノルウェーの外資系企業に勤める11歳年下の日本人女性と入籍し、同年12月には、第一子となる男児が誕生した。
好きな食べ物はエビフライ担々麺以外のラーメン、シャウエッセン。特にラーメンは久保田の実家の近所にある食堂「蒲原館」のラーメンを大変気に入っている。また、西麻布の百貨店にある惣菜店の焼きそばも大変気に入っている〔日本テレビ製作のしゃべくり007に於いて久保田自身が発言。〕。嫌いな食べ物はセロリで、柿については本人曰く「柿は柔らかくても硬くても食えない」との事である。また、10年以上に亘り体重は50kg台後半を維持しており、出前は好きな物を食べているが、玄米を主食としていることでこの体重を維持している〔玄米は本人が食事をする際、楽屋で炊飯器を持参して炊いているとのことである。〕。
久保田の作品はテレビドラマへの起用が多く、特にフジテレビ系列への起用が目立っている。なお、テレビ東京系列の番組に久保田の楽曲が起用されたことは現在までのところない〔テレビ東京制作の番組に出演したことはある。番組出演もフジテレビ系列の番組が圧倒的に多い。久保田の楽曲は過去に幾度かフジテレビ系列の月曜夜9時枠のドラマ(いわゆる月9)の主題歌に起用されたことがあり、2010年春季のドラマの主題歌にも起用されている。〕。
デビュー当時には日本ではまだ市民権を得ていなかったブラックミュージックを浸透させるのに一役買った功績は大きく、現在も国内外でR&Bシンガーとして活動している。ブラックミュージックと言う事で、久保田自身の音楽スタイルは山下達郎大沢誉志幸吉田美奈子佐野元春井上陽水忌野清志郎キングトーンズ、ハイクオリティなシティ・ポップスという点で角松敏生稲垣潤一小田和正等によって確立されたジャンルであるが、ヴォーカルスタイル、リズム感、ソングライティング等の部分でブラックミュージックに大きく影響を受け、又それを自身の音楽性に取り入れ、さらにセールス的にも大成功を収めたのは、彼以前には居なかったと言っても過言では無く、その事から彼自身は「ブラック・ミュージックのパイオニア」とも称されている〔久保田に影響されたアーティストとして、KREVA、平井堅、EXILEのATUSHI、中西圭三等が有名。中西は音楽性が似ている事から「ポスト久保田」と評されていた事もある。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久保田利伸」の詳細全文を読む




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