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久保 豊四郎(くぼ とよしろう、1882年(明治15年)2月〔『人事興信録』第9版、ク13-14頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 ==経歴== 富山県出身。久保理平の息子として生まれる〔『人事興信録』第7版、く6頁。〕。第四高等学校を卒業〔。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内閣属となり統計局に配属〔「久保豊四郎任内閣属統計局勤務ヲ命スルノ件」〕。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に転じ長崎県属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』196頁。〕。 以後、長崎県事務官補、静岡県理事官・視学官、福岡県理事官・視学官、愛知県事務官、茨城県警察部長、関東庁参事官などを歴任。1922年、欧米各国に出張。1923年に帰国し関東庁事務官を兼任。さらに同庁警務局長を務めた〔〔『新編日本の歴代知事』128頁。〕。 1928年5月11日、鳥取県知事に就任。特定の政党に偏らない行政を行い信頼された。緊縮財政を実行し経費の節減に務めた〔『新編日本の歴代知事』766頁。〕。1930年8月26日、岩手県知事に転任。不況対策に尽力し、失業救済農山漁村臨時対策低利資金貸付規則を制定した〔。1931年12月18日に知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久保豊四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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