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久尓辛王(くにしんおう、生年不詳 - 427年)は百済の第19代の王(在位:420年 - 427年)であり、先代の腆支王の長男。『三国史記』は諱・諡は伝えておらず、420年3月に先王の死去に伴い即位したこと、427年12月に死去したことを伝えるのみで、治績記事は残っていない。 『宋書』百済伝では、宋の太祖が元嘉2年(425年)に百済王に対して年々の忠節を顕彰したことと、その後毎年朝貢してきたことを記す。ただ、元嘉7年(430年)に「余()に余映(腆支王)の爵号の継承を許した」とあるので、宋の側では久尓辛王を認識していなかったと思われる。 『日本書紀』によれば、応神天皇25年(294年→414年)に即位。王が若かったので木羅斤資(もくらこんし)の子木満致(もくまんち)が国政を行ったとある。この木満致を蘇我氏の祖先蘇我満智とする説があるが、類推の域を出ない。また、木羅斤資を百済の将とするが、倭国が派遣した将軍(倭人)とも任那系とも考えられ不明な点が多い。 == 参考文献 == *金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年 ISBN 4-582-80425-X *伴信友校訂、岸田吟香他『日本書紀』1883年(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー) *『宋書』夷蛮伝 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久尓辛王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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