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久川城(ひさかわじょう)は、福島県南会津郡南会津町にあった戦国時代から江戸時代初期の日本の城。遺構の保存状態が良好で、築城の歴史的背景が明確であることから、福島県史跡に指定されている。 == 歴史・沿革 == 久川城のある会津郡伊南郷(伊南川流域一帯)は文治5年(1189年)の奥州合戦の戦功によって下野国住人の河原田盛光に与えられ、以来河原田氏が治めていた。天文12年(1543年)頃に蘆名盛氏に攻められ、このころから河原田氏は蘆名氏に臣従したものと思われる。天正19年(1589年)、摺上原の戦いで蘆名氏が滅亡し、伊達政宗が黒川城へ入ったが、当時の河原田氏当主・河原田盛次は政宗への臣従を拒否した。政宗は家臣の柴田但馬や降伏した鴫山城主・長沼盛秀を伊南郷に攻め入らせる。盛次は戦闘に備えて新たに久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討った。伊達勢は城を攻撃したが、結局攻め落とすことはできずに撤退した。しかし盛次は翌年の秀吉の小田原征伐に参陣しなかったためにその後の奥州仕置によって領地は没収されてしまった。その後、会津は蒲生氏、上杉氏、そして再び蒲生氏が入部し、この再蒲生時代に久川城は現在残されている縄張りの城に改築された。その後、慶長16年(1611年)に廃城となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久川城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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