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久我具通 : ミニ英和和英辞書
久我具通[こが ともみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [ぐ]
  1. (n,n-suf) tool 2. means 3. ingredients 4. counter for armor, suits, sets of furniture (armour) 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

久我具通 : ウィキペディア日本語版
久我具通[こが ともみち]

久我 具通(こが ともみち)は、室町時代の公卿。従一位太政大臣久世太政大臣と号す。父は太政大臣久我通相。母は権大納言葉室長隆の娘。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
康永3年/興国5年(1344年)1月5日、叙爵。同年7月29日、侍従に任ぜられる。康永4年/興国6年(1345年)8月16日、従五位上に昇叙。貞和3年/正平2年(1347年)1月5日、正五位下に昇叙。貞和4年/正平3年(1348年)4月17日、従四位下に昇叙。同年12月24日、左少将に任ぜられる。観応元年/正平5年(1350年)3月29日、出羽介を兼ねる。文和2年/正平8年(1353年)4月23日、従四位上に昇叙。文和3年/正平9年(1354年)10月22日、正四位下に昇叙。文和4年/正平10年(1355年)、出羽介を去る。同年8月13日、右中将に転任。
文和5年/正平11年(1356年)1月6日、従三位に叙される。右中将は元の如し。また同年中に淳和院別当に補される。延文3年/正平13年(1358年)3月30日、信濃権守を兼ねる。延文5年/正平15年(1360年)3月13日、参議を経ず権中納言に任ぜられる。貞治元年/正平17年(1362年)5月7日、正三位に昇叙。貞治3年/正平19年(1364年)1月5日、従二位に昇叙。貞治4年/正平20年(1365年)12月30日、権大納言に転任。貞治5年/正平21年(1366年)1月、元日節会白馬節会内弁を務める。応安3年/建徳元年(1370年)1月6日、正二位に昇叙。応安6年/文中2年(1373年)12月27日、淳和奨学両院別当に補される。永和5年/天授元年(1379年)1月、元日節会の内弁と叙位執筆を務める。康暦3年/弘和元年(1381年)、叙位執筆を務める。永徳3年/弘和3年(1383年)1月16日、足利義満が淳和奨学両院別当となる。
永徳4年/元中元年(1384年)3月23日、右近衛大将を兼ねる〔足利義満が右大将を兼ねていたが、義満が辞した直後の右大将兼任である。〕。12月27日には右馬寮御監の宣下がある。嘉慶2年/元中5年(1388年)5月26日、右大臣に任ぜられる〔足利義満が左大臣を辞したことに伴う人事異動である。〕。同年2月9日、康応への改元があり上卿を務めた。また、同月中に右大将を辞した。明徳2年/元中8年(1391年)1月6日、従一位に昇叙。明徳3年/元中9年(1392年)3月28日、右大臣を辞した。
応永2年(1395年)6月3日、太政大臣に任ぜられる〔足利義満が太政大臣であったが、義満が辞した直後の任太政大臣である。〕。応永3年(1396年)2月3日、太政大臣を辞した。同月25日に出家し、法名を紹侃とする。応永4年(1397年)3月16日、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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