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久我梅庵 : ミニ英和和英辞書
久我梅庵[いおり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

久我梅庵 ( リダイレクト:久我通久 ) : ウィキペディア日本語版
久我通久[こが みちつね]

久我 通久(こが みちつね、天保12年11月28日1842年1月9日) - 大正14年(1925年1月10日)は幕末公卿明治大正時代華族政治家侯爵〔『人事興信録. 4版』(大正4年)コ四一〕。貴族院議員〔。元老院議官、宮中顧問官、宗秩寮総裁、東京府知事などを歴任。
和歌書道謡曲歌詞などに堪能な趣味人としても知られた。
== 経歴 ==
京都出身。内大臣久我建通の長男。母は後藤言中の娘の松島。
嘉永元年(1848年)、従五位下。嘉永2年(1849年)、従五位上。嘉永3年(1850年)、正五位下。嘉永4年(1851年)、従四位下。嘉永5年(1852年)、従四位上侍従。嘉永6年(1853年)、正四位下安政元年(1854年)、元服、左近衛権少将。安政2年(1855年)、御遷幸に左少将朝臣として参加。安政4年(1857年)、右近衛権中将。安政5年(1858年)、従三位。安政6年(1859年)、正三位万延元年(1860年)、踏歌外弁。慶応3年(1867年)、権中納言
明治元年(1868年)1月、明治新政府参与。2月、権大納言大和国鎮撫総督となる。7月、東北遊撃軍将。8月、海路越後国に赴き、奥羽鎮撫惣督を援け、転戦して鶴岡に至り、東北平定。11月、東京に凱旋。三等陸軍将。明治2年(1869年)3月、箱館軍の内地侵入を防ぐため鎮撫惣督として仙台に至り、騒擾を鎮定。7月、陸軍少将。11月、兵部少輔。その後、元老院議官などを歴任。
明治17年(1884年)、侯爵。明治23年(1890年)10月20日、麝香間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。その後、宮中顧問官東京府知事宗秩寮総裁などを歴任。明治36年(1903年)6月、従一位1908年12月11日、再び麝香間祗候となる〔『官報』第7640号、明治41年12月12日。〕。
大正14年(1925年1月10日歿。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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