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北畠 通城(きたばたけ みちしろ〔 / みちくに〔、1849年11月19日(嘉永2年10月5日)- 1888年(明治21年)10月15日〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、499頁。〕)は、幕末の公家、明治期の内政官僚・神職・華族。官選兵庫県知事、男爵、霊山神社宮司。旧姓・久我、初名・維麿(これまろ)〔。 ==経歴== 内大臣・久我建通の四男として生まれた〔『明治維新人名辞典』331頁。〕。 王政復古後、明治元年(1868年)9月、第一次柏崎県知事に就任〔。小千谷校(現在の小千谷市立小千谷小学校)の創立にかかわった〔『新編日本の歴代知事』692頁。〕。明治2年4月10日 (1869年5月21日)、兵庫県知事に発令されたが赴任せず、同年5月19日(6月28日)に退任〔。明治3年(1870年)3月、大阪兵学寮入寮〔。同年12月22日(1871年2月11日)、終身華族となる〔「久我通城ヲ華族ニ列ス」〕。明治4年(1871年)7月、村上源氏の同族である北畠に改姓。同年12月(1872年)病のため兵学寮を退寮し、その後、三等中警部心得、陸軍少尉試補などを務めた〔。1877年6月、宮中祗候となり〔、1884年7月、男爵を叙爵〔。1885年4月、北畠親房などをまつる霊山神社の宮司に就任した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北畠通城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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