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久我通嗣(こが みちつぐ)は鎌倉時代後期の公卿。正二位権中納言。内大臣久我通基の三男〔兄弟たちの中では嫡兄である通雄に次ぐ官位に昇ったため、二男の可能性もある。しかも20代で権中納言に昇っているのである。〕。母は不詳。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 弘安3年(1280年)1月5日、叙爵。弘安6年(1283年)3月28日、侍従に任ぜられる。12月16日、従五位上に昇叙。弘安7年(1284年)1月13日、右少将に任ぜられる。弘安9年(1285年)1月5日、正五位下に昇叙。同月13日には近江介を兼ねる。弘安11年(1288年)1月5日、従四位下に昇叙。同月11日、右少将は元の如し。2月8日、禁色を許される。3月6日、右中将に転任。正応2年(1289年)1月5日、従四位上に昇叙。正応3年(1290年)6月18日、正四位下に昇叙。 正応5年(1292年)5月15日、参議に任ぜられる。閏6月16日、従三位に昇叙。永仁2年(1294年)1月6日、正三位に昇叙。3月27日、備中権守を兼ねる。永仁6年(1298年)11月14日、丹波権守を兼ねる〔大嘗会の国司として。〕。正安元年(1299年)1月5日、従二位に昇叙。正安3年(1301年)、権中納言に任ぜられる。正安4年(1302年)1月5日、正二位に昇叙〔院の御給による。〕。嘉元元年(1303年)8月28日、権中納言を辞退〔以後、薨去するまで約50年間にわたって前権中納言正二位のままであった。 〕。延慶元年(1308年)11月19日、父通基の喪に服す。正平9年/文和3年(1354年)2月10日、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久我通嗣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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