翻訳と辞書
Words near each other
・ 久我通久
・ 久我通兄
・ 久我通光
・ 久我通具
・ 久我通前
・ 久我通博
・ 久我通名
・ 久我通嗣
・ 久我通城
・ 久我通基
久我通堅
・ 久我通定
・ 久我通宣
・ 久我通宣 (鎌倉時代)
・ 久我通尚
・ 久我通平
・ 久我通忠
・ 久我通明
・ 久我通村
・ 久我通相


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

久我通堅 : ミニ英和和英辞書
久我通堅[こが みちかた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

久我通堅 : ウィキペディア日本語版
久我通堅[こが みちかた]

久我 通堅(こが みちかた)は、戦国時代公卿
天文11年(1542年)に叙爵し、侍従に列する。その後、備前権介、左近衛中将、備前権守、権中納言などを歴任し、弘治2年(1556年)に源氏長者となる。弘治3年(1557年)に権大納言に任じられる。永禄元年(1558年)に右近衛大将、永禄3年(1560年)には正二位となったが、まもなく勘を被り、永禄8年(1565年)に従二位に落とされ、さらに永禄11年(1568年)には解官された。京を出て和泉国に隠遁し、天正3年(1575年)に同地で薨去。享年35。
なおこの後、源氏長者の座は、源氏の血筋を引いていると認められていない説が有力視される徳川氏が政治的理由で獲得することとなり、以降明治維新まで摂関期全盛時代から受け継いできた久我家に戻らなかった。したがってこの通堅が最後のいわゆる「正統なる源氏長者」であったともいえる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久我通堅」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.