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久松勇二 : ミニ英和和英辞書
久松勇二[ひさまつ ゆうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [ゆう]
 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism 
: [に]
  1. (num) two 

久松勇二 : ウィキペディア日本語版
久松勇二[ひさまつ ゆうじ]

久松 勇二(ひさまつ ゆうじ、1971年9月18日 - )は、日本男性総合格闘家高知県土佐清水市出身。和術慧舟會TIGER PLACE所属。
試合時にはピンクのスパッツ、入場時にはピンクのガウンを着用し〔[パンクラス] 3.8 有明:近藤、vs菊田前哨戦を圧勝でクリア BoutReview 2003年3月8日〕、「ピンク・タイフーン」「ピンク先生」と呼ばれる。
== 来歴 ==
中学から柔道を始めた。高校卒業後、接骨治療の修行を行なっていた。和術慧舟會東京本部に選手治療のために出向いていた〔久松勇二 パンクラス公式サイト〕。
1999年4月、27歳で和術慧舟會東京本部に入門した。
2000年7月23日、28歳でプロデビュー。パンクラスでブライアン・ガサウェイと対戦し、0-2の判定負けを喫した〔2000.7.23 パンクラス 後楽園大会 (夜の部) BoutReview 2000年7月23日〕。
2001年1月21日、第2回タイタンファイトで優勝を果たした〔01.1.21 第2回タイタンファイト BoutReview 2001年1月21日〕。
2001年12月16日、Kushima's Fight 1で西良典と対戦し、判定勝ちを収めた。
2002年5月12日、ORG the 2ndで鶴巻伸洋と対戦し、40-35の判定勝ちを収めた〔[ORG] 5.12 板橋産文:WKネットワーク、U-FILEに圧勝 BoutReview 2002年5月12日〕。
2002年6月9日、DEEP初参戦となったDEEP2001 5th IMPACTのDEEP JAPAN初代ミドル級1DAYトーナメント1回戦で窪田幸生と対戦。久松のローキックがローブローとなり倒れたところに頭部を蹴ってしまい、合計2点の減点。インターバル後に試合が再開されたが、減点分を取り返せずに0-3の判定負けを喫した〔[DEEP2001] 6.9 有明:トーナメントは泥沼の展開。和田は打撃戦 BoutReview 2002年6月9日〕。
2002年9月8日、DEMOLITION旗揚げ戦で佐藤光芳と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔[DEMOLITION] 9.8 横浜:新たな舞台誕生に気鋭溌剌。メインは熾烈な秒殺戦 BoutReview 2002年9月8日〕。
2002年10月13日、DEMOLITIONで中村大介と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔[DEMOLITION] 10.13 お台場:久松、亡き祖母に捧げる一勝 BoutReview 2002年10月15日〕。
2002年10月20日、THE BEST Vol.3でデミトリウス・ジョウラコスと対戦し、3-0の判定勝ち〔[THE BEST] 10.20 有明:松井・今村・久松、急遽出場も勝利 BoutReview 2002年10月20日〕。この試合は高瀬大樹の欠場を受けて前戦から1週間後の緊急出場となった〔[THE BEST] 10.20 有明:松井、今村、久松が急遽参戦! BoutReview 2002年10月20日〕。
2003年3月8日、パンクラスで三崎和雄と対戦し、0-0の判定ドロー。5月18日、三崎と再戦し、チョークスリーパーによる一本負けを喫した。
2007年4月1日、大道塾主催「2007北斗旗全日本空道体力別選手権予選・第43回関東地区交流大会」の重量級に出場。2回戦で藤松泰通と対戦し、判定負け〔【大道塾】歴史的開戦!和術慧舟會の久松が参戦、重量級は藤松が制覇 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年4月1日〕。これまで和術慧舟會と大道塾の交流は行なわれていなかったため、久松が初めての参加となった〔【大道塾】歴史的開戦!和術慧舟會の久松が参戦、重量級は藤松が制覇 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年4月1日〕。
2007年4月27日、パンクラスでファビオ・ナシメントと対戦予定であったが、ナシメントが契約違反となる他団体の試合に出場したため試合が消滅した〔ナシメントが契約違反で欠場 BoutReview 2007年4月24日〕。
2007年6月9日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCE 03佐藤豪則と対戦し、0-1の判定ドローとなった〔[ケージフォース] 6.9 ディファ:ウマハノフ、美木に苦戦 BoutReview 2007年6月9日〕。
2007年12月8日、「2007北斗旗全日本空道無差別選手権大会」に出場し、5位入賞〔[空道] 12.8 代々木第二:藤松、北斗旗全日本無差別を3連覇 BoutReview 2007年12月8日〕。
2008年1月30日、パンクラスでガジエフ・アワウディンと対戦し、右ストレートによるTKO負けを喫した〔【パンクラス】昇侍快挙、ウマハノフを撃破!北岡、井上に敗れ王座奪取ならず 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月30日〕。
2008年10月1日、パンクラス15周年記念興行で佐藤豪則と再戦し、0-3の判定負けを喫した〔[パンクラス] 川村、王座獲得。「現在進行形」アピール BoutReview 2008年10月1日〕。
2009年10月25日、パンクラスでミドル級暫定王者近藤有己とノンタイトルマッチで対戦し、0-0の判定ドローとなった〔[パンクラス] 近藤×久松は引分。砂辺防衛。井上学、大石に完勝 BoutReview 2009年10月25日〕。
2010年7月4日、ミドル級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで近藤有己と再戦し、またしても0-0の判定ドローとなり王座獲得に失敗した〔【パンクラス】近藤有己がドロー防衛、清水清隆はTKO勝ちで初防衛に成功 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月4日〕。
2010年11月3日、パンクラス・ミドル級次期挑戦者決定戦で大類宗次朗と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した〔【パンクラス】ISAOが強豪ウマハノフを相手に一本勝ち!坂口憲二も祝福だ 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月3日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久松勇二」の詳細全文を読む




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