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久生十蘭 : ミニ英和和英辞書
久生十蘭[ひさお じゅうらん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
: [らん]
 (n) orchid

久生十蘭 : ウィキペディア日本語版
久生十蘭[ひさお じゅうらん]

久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 1957年10月6日)は日本小説家、演出家。北海道函館市出身、本名阿部正雄〔『日本幻想作家名鑑』幻想文学出版局 1991年〕。推理もの、ユーモアもの、歴史もの、現代もの、 時代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧で「多面体作家」「小説の魔術師」と呼ばれた。
== 経歴 ==
北海道函館区に、父小林善之助と母鏡の長男として生まれる。父は母方の廻船問屋の番頭頭で、母は草月流生花の師匠だった。2歳の時に両親と離れて、回漕業を営む祖父阿部新之助に養育される。旧制函館中学(現北海道函館中部高等学校)を中退し東京の聖学院中学に移るが、そこも中退。この頃芥川龍之介に私淑し、文学書を耽読した。1920年に帰郷して、函館中学の先輩長谷川海太郎の父の経営する函館新聞社に勤務、演劇に興味を抱き、1922年に演劇集団「素劇会」に参加。1923年に同人グループ「生社」を結成、1924年に同人誌「生」に8編の詩、1926年に処女小説「蠶」、処女戯曲「九郎兵衛の最後」を発表。また函館新聞の文芸欄の編集、記事執筆をしながら、同欄で創作作品を掲載。1928年に上京し、岸田國士に師事、岸田主宰の「悲劇喜劇」の編集に従事。
1929年から33年までパリに遊学、パリ物理学校でレンズ工学を2年、パリ市立技芸学校で演劇を2年研究しシャルル・デュランに師事する。帰国後、新築地劇団演出部に入り、舞台監督を務めるが、まもなく脱退。函館中学校の後輩である水谷準が『新青年』(博文館)の編集長を務めていたことから、同誌に、1933年に著名人探訪記事、トリスタン・ベルナール「天啓」「夜の遠征」「犯罪の家」の翻訳、1934年にパリ滞在の経験を元にコン吉・タヌ子を主人公とした「八人の小悪魔」をはじめとする連作集(三一書房版全集で『ノンシャラン道中記』に改題)、1935年に初の本格的な小説『黄金遁走曲』などを発表。当初は本名を用いていたが、1936年の『金狼』から久生十蘭の名義を使用し始めたほか、谷川早、六戸部力(セクストン・ブレイクのもじり)、石田九万吉、阿部道代、狐野今吉、麹町子、覆面作家、安部正雄などの筆名を使った。1936年には、岸田の推薦で明治大学文芸科講師を務め、演劇論を教えた。1937年、岸田を発起人として結成された文学座に参加、文学座研究所の講師を務め、38年に文学座公演のジュール・ロマン作「クノック」を演出、内村直也作「秋水嶺」を岸田と共同演出。1937年にはフランスの探偵小説、レオン・サジイ『ジゴマ』、ピエール・スーヴェルト&マルセル・アラン『ファントマ』、ガストン・ルルー『ルレタビーユ』などを『新青年』別冊付録として翻訳、この原稿料で軽井沢千ヶ滝に別荘を購入し、ここで『魔都』を執筆した。
1940年に岸田が大政翼賛会文化部長に就くと文化部嘱託となり、翼賛会宣伝部で「村の飛行兵」執筆。1941年に『新青年』の依頼で中支に従軍、冬青座のために脚本「浜木綿」「蜘蛛」「朝やけ」「鰯雲」執筆。1942年舞台座の「鰯雲」演出、大佛次郎夫妻の媒酌により三ツ谷幸子と結婚。1943年に海軍報道班として南方に派遣され、一時行方不明も伝えられたが、1944年に帰国。同年銚子へ疎開、1945年会津若松に疎開、終戦後1946年に銚子に転居、1947年から鎌倉材木座に住んだ。1951年『朝日新聞』に『十字街』連載。1957年「下北の漁夫」取材のために浅虫、野辺地に旅行し、その後6月に食道癌により板橋の癌研究院に入院、10月に自宅で死去。
筆名の久生十蘭は、シャルル・デュランのもじりとも、「久しく生きとらん」、「食うとらん」の意とも言われるが、いずれも真偽は定かでない。函館中学の先輩に長谷川海太郎らがいる。
; 受賞等
* 1939年 『キャラコさん』で第1回新青年読者賞を受賞。
* 1952年 「鈴木主水」により第26回直木賞を受賞。
* 1955年 「母子像」(英訳 吉田健一)がニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙主催の第2回国際短篇小説コンクールで第一席に入選。
* 直木賞候補に、11回「葡萄蔓の束」、15回「三笠の月」、16回「遣米日記」、17回「真福寺事件」。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久生十蘭」の詳細全文を読む




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