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久留島通祐 : ミニ英和和英辞書
久留島通祐[くるしま みちすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

久留島通祐 : ウィキペディア日本語版
久留島通祐[くるしま みちすけ]
久留島 通祐(くるしま みちすけ、1738年元文3年)- 1791年9月7日寛政3年8月10日))は、豊後国森藩の第6代藩主。
第5代藩主・久留島光通の五男(七男、九男との説もある)。正室は太田資俊の娘。官位は従五位下。信濃守。幼名は栄之助。
明和元年(1764年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政においては桑原在学を登用して文教奨励政策に尽力し、後の藩校・修身舎開校の基礎を築いた。幕府においては大番頭二条城大坂城の城番を経て、伏見奉行となる。このとき、伏見の窮民を助け、天明8年(1788年)の内裏炎上では、その後の普請などで活躍した。
嗣子に恵まれず、弟の通同を養嗣子に迎えて後継者とした。寛政3年(1791年)8月10日、54歳で死去した。法号は泰清院。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久留島通祐」の詳細全文を読む




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