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久留島 通胤(くるしま みちたね、文政11年12月17日(1829年1月22日)- 安政6年11月30日(1859年12月23日))は、豊後国森藩の第11代藩主。 第8代藩主・通嘉の七男。第9代藩主・通容の弟。子に久留島通靖(長男)、久留島通簡(次男)、千勢子(伊東祐麿室)。官位は従五位下、信濃守。 嘉永5年(1852年)2月16日、甥(異母兄との説もある)で先代藩主の通明が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。嘉永6年11月7日、従五位下信濃守に叙任する。同年、ペリーの来航で国内が混乱すると、通胤は幕府に対して諸藩の意見を広く求めるべき、と薦めている。しかしそれが原因で幕府に疎まれ始め、安政元年(1854年)に勤王的な藩士2名が脱藩すると、幕府から嫌疑をかけられることを恐れて老臣5名を辞任させ、幕府に謝罪するなど、開明的ではあったが小藩さながらの力の無さを露呈させてしまった。安政2年12月29日、禁裏造営の手伝いを命じられる。安政6年(1859年)11月、32歳で死去し、長男・通靖が跡を継いだ。法号は叡泰院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久留島通胤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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