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久米田 康治(くめた こうじ、1967年9月5日〔『ぱふ』2006年9月号、44頁。〕 - )は、日本の漫画家。神奈川県出身〔〔『このマンガがすごい! SIDE-B』31頁。〕。和光大学人文学部芸術学科卒業〔。 == 略歴 == 神奈川県に生まれる。和光大学在学中、美術の教員免許を取得〔『かってに改蔵 かってに研究しやがれBOOK』116頁。〕。また、漫画研究会に所属し、松本大洋とは同期だったが、松本とは入れ違いの形になったという〔。卒業後は漫画編集者になろうと編集プロダクション・銀杏社の入社試験を受けるが合格せず〔『このマンガがすごい! SIDE-B』28頁。〕、漫画家の道を選んだ。 1990年(平成2年)、サンデーまんがカレッジに「地上げにスマッシュ!」を投稿し努力賞、また『行け!!南国アイスホッケー部』により小学館新人コミック大賞を受賞し、漫画家としてデビューする。デビュー直後、満田拓也の所に2日程アシスタントに行ったが、新人なので特に出来ることもなく何もせずにいただけだった、とも語っている〔。 1991年(平成3年)より「行け!!南国アイスホッケー部」を『週刊少年サンデー』にて連載。初期はあだち充のような漫画を目指し〔『ぱふ』2006年9月号、45頁。WEBサンデーのまんが家BACK STAGE による(マガジンに移籍のしばらく後削除 (wayback machineのリンク ))。〕〔久米田の担当編集者と、あだちの現在の担当編集者はどちらも「竹田哲也」であるが、同姓同名の別人である。〕スポーツコメディ漫画を描いていたが、突然下ネタ及びダジャレを多用するギャグ漫画に変化した〔島本和彦によると、編集部内でも問題になり臨時会議が行われたという。島本和彦のマンガチックにいこう!(第087回 2003年05月31日)〕。また「行け!!南国アイスホッケー部」と並行して『ヤングサンデー』で「ルートパラダイス」(1995年 - 1996年)、『週刊少年サンデー超』で「育ってダーリン!!」(1994年 - 1996年)を連載した(「育ってダーリン!!」については当初第1回は『少年サンデー増刊』に「だんな様は小学生!!」のタイトルで読切として発表され、翌月から改題しての連載)。「育ってダーリン!!」の連載は1996年(平成8年)で一時中断し、そのまま長期間が経過しており、作者本人もこのことをネタにするほどだったが、2002年(平成14年)に『週刊少年サンデー』誌上にて完結編が掲載された。 1996年(平成8年)、「行け!!南国アイスホッケー部」の連載を終了し、その3週間後、『週刊少年サンデー』で「太陽の戦士ポカポカ」を翌年1997年(平成9年)まで連載する。その後1998年(平成10年)より同誌で「かってに改蔵」を連載開始する。この作品からパソコンを使っての執筆(後述)となる。序盤は「行け!!南国アイスホッケー部」のような下ネタを用いることも多かったが、次第に世相や一般常識を皮肉るようなネガティブなものがほとんどとなり、時事的な話題のほかアニメ、美少女ゲームなどからのマニアックな話題や作者の私生活に関するネタも頻繁に取り上げた。同作は2001年(平成13年)に第25回講談社漫画賞少年部門に「ノミネート」されている。 2004年(平成16年)、「かってに改蔵」の連載終了後、読み切り「いいがかり姉さん」の発表を経て、2005年(平成17年)、『週刊少年マガジン』で「さよなら絶望先生」の連載を開始する。2007年(平成19年)、同作はアニメ化され、また2007年度(第31回)講談社漫画賞少年部門を受賞した。「さよなら絶望先生」は2012年に終了し、その間に、週刊少年マガジンにて読み切り作を2本掲載するが、基本的には「じょしらく」の原作(本人曰く「せりふ係」)のみに専念していた。2013年10月に「じょしらく」の連載が終了すると、2013年11月9日の週刊少年マガジン第45巻49号から2015年1月7日発行の第47巻6号まで「せっかち伯爵と時間どろぼう」を連載した。 「せっかち伯爵と時間どろぼう」の終了後には少年漫画から離れ、2015年2月より白泉社の季刊漫画誌「楽園 Le Paradis」誌上で(第17号より)スター・システム漫画「スタジオパルプ」を連載している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久米田康治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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