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久良親王(ひさながしんのう/ひさよししんのう)は鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿・皇族。土御門入道親王と称される。式部卿久明親王(鎌倉幕府第8代将軍)の二男。母は権中納言冷泉為相の娘。異母兄に守邦親王(鎌倉幕府第9代将軍)。無品王から従三位左中将を経て親王に復した。子は従一位・権大納言に至った源宗明。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』、『後深草天皇實録』の内容に従って記述する。 嘉暦3年(1326年)2月13日、関白二条道平亭にて元服する〔『稿本後深草天皇實録』藤井讓治, 吉岡眞之監修・解説。〕。加冠は二条道平、理髪は宮内卿藤原光継 〔理髪役の藤原光継が宮内卿に任ぜられたのは嘉暦2年(1325年)11月10日であり、嘉暦3年(1326年)9月23日に参議となったが11月27日には参議を辞している。〕。嘉暦3年(1326年)6月13日、無品久良王に源氏姓を賜り従三位に叙すという宣下あり。同日に右中将に任ぜられる。同年10月14日、父久明親王の喪に服す。元徳元年(1329年)11月24日、左中将に転任。元徳2年(1330年)2月11日、花園院の猶子となり親王宣下。暦応元年(1340年)、出家〔『稿本後深草天皇實録』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久良親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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