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久貝 正方(くがい まさかた、慶安4年(1651年) - 享保4年11月14日(1719年12月24日))は、江戸幕府旗本、勘定頭。 松平氏信の次男。母方の祖父・久貝正世の養子となる。通称、甚三郎、弥右衛門、忠左衛門。号は意閑(致仕ののち)。官位は従五位下、因幡守(元禄12年)。妻は大久保教勝の娘、後妻は水野忠久の娘。養子に久貝正順(徳川水戸家家臣久貝正武の子)、正順室(松平氏清の娘)。 ==経歴 == 延宝3年(1675年)より定火消を務め、同年布衣を着することを許される。天和2年(1682年)小川村(現東京都小平市)に抱屋敷を所有する(元禄8年(1695年)に売却)。貞享4年(1687年)持筒頭となる。元禄2年(1689年)領地に長尾陣屋(現大阪府枚方市、明治2年(1869年)上知まで同地を治める)を築く。元禄9年火附改役となる。元禄12年(1699年)1月11日から宝永2年(1705年)12月1日まで勘定奉行(元禄期までは勘定頭と呼ばれていた)を務め、道中奉行を兼帯した。元禄12年(1699年)1月13日、幕府より国絵図改正を担当するよう命を受ける。宝永2年留守居役に転任。宝永7年武蔵国比企郡および入間郡内において500石加増され計5500石となる。正徳2年御側並、翌年御側となる。享保元年徳川家継が没するとその任を解かれた。享保3年10月19日に致仕し、養子の正順に家督を譲る。享保4年(1719年)に72歳で没した。墓所は下谷の向泉寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「久貝正方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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