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久邇邦彦 : ミニ英和和英辞書
久邇邦彦[ほう, くに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう, くに]
 (n) country

久邇邦彦 ( リダイレクト:久邇宮邦彦王 ) : ウィキペディア日本語版
久邇宮邦彦王[くにのみや くによしおう]

久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年明治6年)7月23日 - 1929年昭和4年)1月27日)は、日本皇族陸軍軍人階級及び位階勲等軍事参議官元帥陸軍大将大勲位功四級
久邇宮朝彦親王の第三王子。香淳皇后昭和天皇の皇后)の父。
== 経歴 ==
邦彦王は1887年(明治20年)父朝彦親王の継嗣と定められ、京都府立中学(現・京都府立洛北高等学校)、学習院を経て東京・成城学校(現・成城中学校・高等学校)に入学する。
1891年(明治24年)には朝彦親王薨去を受けて久邇宮を継承する。1896年(明治29年)陸軍士官学校を卒業し陸軍士官として勤務し、1902年(明治35年)、陸軍大学校卒業。
1904年(明治37年)には日露戦争に出征する。戦功により歩兵少佐に進級し功四級金鵄勲章を受章する。以後も累進し1910年(明治43年)歩兵第38連隊長、1917年(大正6年)第15師団長、近衛師団長、軍事参議官を歴任する。
*1873年(明治6年)7月 誕生
*1887年(明治20年)3月 朝彦親王継嗣
*1890年(明治23年)5月 東京私立成城学校入校
*1893年(明治26年)10月 東京私立成城学校卒業
*1893年(明治26年)11月 士官候補生・勲一等旭日桐花大綬章受章
*1896年(明治29年)5月 陸軍士官学校卒業(7期)
*1897年(明治30年)1月25日 陸軍歩兵少尉歩兵第6連隊
*1899年(明治32年)2月 陸軍歩兵中尉
*1899年(明治32年)12月 陸軍大学校入校
*1901年(明治34年)3月 陸軍歩兵大尉
*1902年(明治35年)11月 陸軍大学校卒業(16期恩賜)・近衛歩兵第3連隊
*1903年(明治36年)11月 参謀本部出仕
*1904年(明治37年)2月 参謀本部員
*1904年(明治37年)2月 第1軍司令部附(日露戦争出征)
*1904年(明治37年)11月 陸軍歩兵少佐
*1906年(明治39年)4月 功四級金鵄勲章受章
*1907年(明治40年)2月) ヨーロッパ差遣
*1907年(明治40年)4月 出発
*1908年(明治41年)4月 陸軍歩兵中佐
*1909年(明治42年)10月 帰朝
*1910年(明治43年)5月 歩兵第38連隊附
*1910年(明治43年)12月 陸軍歩兵大佐・歩兵第38連隊長
*1913年(大正2年)8月 陸軍少将・近衛歩兵第1旅団長
*1917年(大正6年)8月6日 陸軍中将第15師団
*1918年(大正7年)8月9日 近衛師団長
*1919年(大正8年)11月 軍事参議官
*1923年(大正12年)8月 陸軍大将
*1928年(昭和3年)5月14日 台湾の台中にて朝鮮人趙明河により短刀を投げつけられる(台中不敬事件)が、無傷で視察を続けた。
*1929年(昭和4年)1月 東京から熱海の別荘へ移動後に急性内臓疾患で薨去、元帥の位を贈られる。大勲位菊花章頸飾受章。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久邇宮邦彦王」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Kuni Kuniyoshi 」があります。




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